皿という概念そのものが、酷く上品である。起源から掘り起こすのは少々面倒なので面倒臭がらせていただくが、食べ物を何かの上に乗せて食すというのは、本来ならそうせずとも出来ることにわざわざオプションを付けているようで、ふとしたときに違和感を覚える。普段凡庸を誇りにしている俺が何故このようなことを考えているのかと言えば、ふとしたとき、がまさに今であるからだ。
「おかしいなあ」
 と、首を捻っているのは古泉が、すい、と両手を俺の方に近づける。軽く手の平を折り、右と左をくっつけて、皿のようにした両手を。
「前までは、こんな、おかしなにおいはしなかったんです」
 その皿には、今俺が換気扇に吸い込ませているような食べ物のにおいはなく、ただの水道水が汲まれている。しかもそれは彼が首を捻りはじめてから今までに大半がこぼれ落ちており、しかもそれは俺の右足を濡らしているのだった。そもそもこの状況が皿という上品さなどという日常において損にも得にもならなそうな思考を引っ張り出すよりも不可思議なことであるように思えるが、日常というものは恐ろしい。慣れの強要は日常生活において不可欠であるが為に見過ごされるものだが、俺が昼飯を作っているガス台横のシンクで寝起きの古泉が顔を洗っているというこの状況、仕方がないが日常である。それはさておき、彼の皿の話だが、
「水道管が錆びてんじゃないのか」
「それは、僕がどうにか出来ることでしょうか」
 要するに顔を洗って歯を磨いて口をゆすいでみたらどうにも口になじまない、と言いたいらしく、しかし俺はその前に顔を洗ったら一旦歯を磨く前に顔を拭け、と言いたいのだったが、彼の表情が馬鹿みたいに真剣であるので、俺は真剣に野菜を炒めることとする。彼がどうしてその両手を俺に差し出しているのかと問えば当然舐めてみろということなのだろうが、問わないので答えられてはいない。放っておいているので右足は濡れていく一方だったが、そろそろたまねぎがキツネ色なので手も離せず、キツネ色でないと食べないという古泉の抗議に従ってこうしているのが何だか遣る瀬ない気持ちをつのらせた。
「知らんが、俺はそもそも水道水があまり好きではない」
「僕だって別に好きじゃないですよ」
 ぽた、ぽた、と手からも顎からも水道水を滴らせている男が何を言ったところで間抜けでしかないのだったが、その目は変わらず真剣であり、わかりやすく溜め息を吐いてやった俺はフライパンと菜箸から両手を離すことなく犬のように顔を下げてやる。汲んだ水は、殆ど俺の右足を湿らせることに使い果たされたようで、舌先があたったのは古泉の生命線だ。別に短いわけでもないな、とくだらん感想を抱きつつ、わかっていたことだったが水道水の違いなど俺にはわからん。前髪をびしゃびしゃに濡らして額に貼り付けたまま俺を見る古泉は風呂に突っ込まれた大型犬のようで、それが水道水の感想を待っているのだと思うと笑ってしまいそうだ。
「うちと同じだ」
「そんなはずないです、前はもっと、ただ塩素のにおいがきついくらいで、」
「たまねぎが焦げる」
 はっ、と勢いよく古泉が顔を上げた所為で、右足のみならず俺の右半身は存外に大粒な水道水を喰らったわけだったが、ガス台の前にいるので許してやろう。どうせすぐに乾く。近くなった顔の、目元にたまっていた水道水を飲んでやると、彼は意気揚々と先に切っておいたキャベツとピーマンとエリンギを続々とフライパンに投入しはじめた。それよりもまず顔を拭け、顔を。
「水を皿で飲む、っつーのもへんな話だったな」
「なんですかそれ」
「別に」
 濡らされた右足で彼の左足を踏んでやると、すっかり水道水品評会のことなど忘れ去ってしまったような表情で笑った。あー、もう、余計腹が減る。







20081118