古泉の家でぼうっとしていたら、インターホンが鳴った。呼ばれたのは家主の彼であり、間違っても俺ではないのだが、この家に来てその呼び出しがあった試しが今までなかったのでつい立ち上がってしまったのだ。手にしていた雑誌(来る途中のコンビニで買ったものなので、特に今ここで読み耽る必要のないものではある)を床に置いて、ノートパソコンで本日十六時半提出厳守の報告書と格闘している古泉を見遣れば、ぱきぱきと首やら肩やらを鳴らしながらのんびりと立ち上がる。
「勧誘か何かでしょう、座っていてください」
「おう」
 しかしなんて中途半端な時間に締切りを定めるのか、機関は本日この俺が遊びにくることを把握していらっしゃるとしか思えない。いや、事実壮大な被害妄想の三分の一程は現在古泉が取り組んでいる書類によって報告がなされているに違いないが、それにしても放っておかれるこちらは正直暇で仕方がないわけだ。
「ご苦労様です」
 と、玄関から古泉の声。どうやら勧誘の類いではなかったらしく、部屋へ戻ってきた彼の手には大量の、ビニール袋がかかった衣類が抱えられていた。
「クリーニング屋、か?」
「ええ、機関が手配してくれるものです」
「古泉お前…、そんなだから洗濯…」
 手に持っていたものを、一度ベッドに放り投げた(自分の家にいるときの古泉はどうにも所作が荒い)その後、ちらりと廊下に設置されてある洗濯機の方向を透視するように見て、それが何か、と言わんばかりにクローゼットの扉を開けた。たぶん、機関がクリーニングしてくれるのは、任務に関わるものだけだ。さっと確認したところによると、制服はOKらしい。だからこの家の洗濯槽には、古泉の私服がこれでもかと詰まっている。こいつが衣装持ちでなかったら、確実に明日から外には出掛けられないだろう、そういう量だ。
「いっぱいになったら洗うことにしているんです」
「先に入ってる洋服押し潰して追加してる癖に、偉そうに拗ねるんじゃあない」
 母親に洗濯してもらっている俺が言う立場ではないが、せめて乾かしたり、たたんだり、するくらいは悪ではないはずだろう。シャツはともかく、タオルの類いが皺のない状態で干されているのをここで見たことがない。今クリーニングから帰ってきた洋服たちが置かれているベッドの半分、そのもう半分はたたまれていない洋服たちが山となっている。ああ、なるほど、俺はこれで暇を潰すべきか? そういうことなのか古泉一樹よ。
「そんなこと言ってないじゃないですか、って、…え?」
「あ?」
 再び雑誌を手に取るのも何だか、と思っていた俺は、目に入ったついでだと思ってベッドからしわくちゃなものたちの救出に取りかかろうとしていた。そうしたら古泉が、酷く間の抜けた声で驚きを表現するものだから、自然と視線はそちらへと動く。気付いた彼は、目にも留まらぬ早業で、ビニール袋入り衣類を全てクローゼットへ放り込み扉を閉めた。
「…何やってんだよ」
 呆れた声は届いたはずだ、はずだったけれど、それどころではない様子を見せる古泉。慌てて机の上に置いてあった携帯電話を取りに走り、がちがちがち、と、どこかへ電話をかけた。こいつが、俺の目の前で電話をするとは珍しい。いつもベランダに出たり、事と次第によっては家から出たりもするのに、そんなに緊急事態なのだろうか。物珍しさと好奇心が手伝った俺は、そのまま見守ることとした。
「ちょ、森さん…!」
 第一声で相手が知れる。やはり機関の関係なのだ。状況から考えるに、派遣されてきたクリーニング屋から手渡されたものについての緊急連絡なんだろうから当たり前だけど、古泉の様子がどうにもコケティッシュというか、いつもとは違う感じがしてつい聞き耳を立ててしまう。
「どういうことですか、森さんが頼んだものまで、僕のところに!」
 どういうこともなにも手違いだろうよ、と、俺は勝手に思った。きっと、森さんのスーツか何かが紛れていたのだろう。いや古泉が酷く顔を赤くしているところを見ると下着とかか? でも下着はこいつも自分で洗っているしなあ、女性は特別待遇なのだろうか。そもそも任務で必要な下着って、何だそりゃ。
「ええ、ええ、ちゃんと取りに来てくださいよ。僕は持って行きませんからね」
 随分と強い口調だ、相手を責めるような。珍しいな。
「しかもどうして今日なんですか、明日なら、まだ…」
 古泉が急激に態度をしょぼくれさせたところで、通話は相手側から断ち切られたようだった。しゅん、とした彼はツーツーツーとかなしい声を出している携帯電話を机に置き、ひとつ、心からの落胆といった具合の溜め息を吐く。そしてそのまま報告書制作の作業に戻ろうとするので、俺はさすがにおいおいおい、と突っ込みを入れざるを得なかった。お前、あんな乱暴に放り投げた洋服、そのままにしておくつもりなのか。
「もう、開けたくありません」
「あほか、せっかくクリーニングしてもらった制服に皺が寄る」
 キーボードを打ちはじめたかと思いきや、突然机に突っ伏す彼に付き合いきれず俺はさっさとベッドから離れクローゼットの扉に手をかけた。
「だっ、だめです待って! それは、」
「何なんだよ、森さんのため、とかなら勿論やめるが、気になるだろう」
「えっと、その、」
 俯いて言い淀む古泉は、俺の手をしっかりと掴んでいる。慌て過ぎて座っていた椅子を蹴飛ばしたらしく、痛みに顔をしかめていた。しかし、手は離さない。数秒頭を悩ませたらしい彼は、はっとしたような表情を一瞬見せた後(俯いていたので詳細なことはわからないが肩が僅かに揺れた)すっと顔を上げた。それは、いつも通りの笑顔だ。
「一戦、お相手願いましょう」
「…何でだよ」
「あなたが勝てば、この手を離します。その先はどうぞ、ご自由になさってください。ただ負けた場合、その先にあるものを身につけていただきます」
「俺に利があるような勝負ではなさそうに思えるが、辞退は可能か」
「真実が知れますよ」
 俺は確実にここで辞退すべきだったね。古泉の言葉から、ろくなものでないと既にわかる。しかしバックに森さんの名前があるという安心感は否めなく、あと単純に、今俺が出さなかったらこいつは明日朝まで制服をこのまま放置するだろうと思い、俺は頷いてしまったのだ。彼とのゲームに勝利するなど、寝ていても出来る。
「わかった、俺は何をしてお前に勝てばいいんだ」
 出来る、はずだった。
「では、じゃんけんで」
 部室に嫌というほど転がっている、ボードゲームならな。

「考えてみれば、それが僕の所有物でないとご理解いただけているなら、別に問題もないですからね。お似合いですよ」
「うるさい、ついでのように言うな」
 おや、と笑った古泉は、にやけた表情のまま報告書の制作に戻る。俺はどうしているかって? 無事に制服をあるべき状態でクローゼットに収納し、洗濯機に残りの洗濯物と洗剤を突っ込んでスタートボタンを押し、ベッドの半分を埋めていたしわくちゃを丁寧にたたんでいるさ、セーラー服を着て、な。
「いやはや、しかしあなたにそのような趣味があ、」
「殺すぞ!」
 こちらに背を向けている阿呆めがけて枕代わりのクッションを投げつけた。見事命中はしたものの当然ダメージは軽く、標的は声をあげて笑い出す始末だ。お似合いなわけがあるかっつーんだ、セーラー服だぞ、しかもわかりやすいほどにテンプレなセーラー服だ。紺の上下、広い襟と袖口には細く白い二本のライン、真っ赤なスカーフ、膝丈のプリーツスカート。この部屋にある姿見が、こちらを向いていないのだけが救いだ。こんなものを好き好んで着る男子高校生がどこにいる、いやいない、だろうが。着替えるところを見せろと言ってきたときは本気で殴ってやろうかと思ったが、パーを出して負けた俺は普段罰ゲームを笑顔で受け入れている彼に対してそのようなことも出来ず(いやしかし俺の課す罰など可愛いものだ、せいぜい自販機でジュースを奢らせるくらいで、)大人しく従ったわけだ。てっきり写真くらいは撮られるかと思ったが、古泉はしきりに時間を気にしながら蹴り倒した椅子を急いで戻しキーボードを打ちはじめた。締切りを破ったときに機関が何をしてくるのかは知らないが、俺の情けない姿が人質に取られずに済み何よりだと思う。
 それにしてもこんなストイックなセーラー服、ハルヒ辺りは似合うかも知れないな、と考えたところで、洗濯機が俺を呼んだ。ピーピー、とうるさく鳴いているので若干小走りに現場へと向かい蓋を開けてやる。わかってはいたが、詰め込み過ぎたせいでこれはほんとうに洗えたんだろうかと疑うほどに、洗濯物同士がきつく絡み合ってしまっていた。取り出すのも一苦労だな、と状態を屈め手を突っ込んだところで、背後に人の気配。するりと冷えた手がスカートの下から滑り込み、俺は反射的に背中を反らしてしまった。
「なっ…! 何でついてきてんだよお前! 大人しく報告してろ!」
「こんな愛らしい背中を見せられたら、さすがの僕も我慢が、」
「うるせえ全力で我慢しろ! ちょっ、なでるな! 手を抜け!」
 後ろから抱きつくように身体を寄せてきた古泉は、左腕でしっかりと腰を抱き、全体重をかけて俺を洗濯機に縫い付け(元々覗き込むような体勢をしていたので腰を少しでも押さえつけられれば動けない)、右手をスカートの中で、いやらしく、動かす。加えて、はっ、と耳元で短く聞こえる興奮した声がまるで痴漢のようだったが、残念ながらここは電車の中でも道ばたでもなく、通報出来る駅員も警官もいない。何ごっこなんだこれは、虫酸が走るわ。変な体勢で圧をかけられているものだから、絡まった洗濯物に突っ込んだ手も絡まって引き抜くことが出来ず、そうしているあいだにもばかみたいに熱い息を吐く彼はスカートの中、の、トランクスの中、に指を滑り込ませてきた。柔らかい肉を押され、びくんっ、と腰が跳ねる。
「やっ、めろ…! おまっ、あたってんぞ!」
「すみません、ちょっと、どうにも」
「困った声を出すな! ああもう触るな! んっ、ああっ」
 ちゅう、と首筋に薄い唇が吸い付く。直に触れた手の平で揉み込まれ、腰に押し付けられた熱が俺にも移るように揺れた。そんなことされなくても洗濯機にあたっている時点でこちらも十分まずいのだったが、いや、これはどう考えてもいかん。俺はそこまで馬鹿にはなりたくないのだ。そんなものまで移されたくはない。今更か、と思う心と、プライドは捨ててはならん、と思う心。古泉の手が、前に回ってきたときちょっといろいろなことがどうでもよくなるくらいに、ずくん、と全身が熱くなった。

 ピリリリリリリリリ! そして、けたたましく鳴る、着信音。
 四時半、だな。これは確実に俺ではなく、彼を呼ぶ機関のどなたかだ。

 結局、渾身の力を込めて蹴り上げた後ろ足はクリティカルヒットを与え、彼を正気に戻すことに成功した。鳴り続ける着信音と共に、よじはん! と俺が叫べば、古泉は血相を変えて(青く、な)ノートパソコンの前に駆けて行く。その後必死にキーボードを打ち続ける背中を見たり見なかったりしながら、洗濯物をちゃんと干して、残っていたしわくちゃをたたんで、衣装ケースに並べてやった後、俺はあっさりとセーラー服を脱ぐことに成功した。危ない、ところだったぜ。しかし、
 そうして残るひとつの疑問に、遅ればせながら気がつくわけだ。
「なあ、古泉」
「はい?」
 勝手に着替えた俺をぎゅうぎゅうと抱きしめ、怒られながら提出を終えた古泉は思ったよりも上機嫌である。されるがままになっておこう、という俺の優しさの賜物であるが、後ろから抱く癖はどうにかしてくれないものだろうか。毎回、顔が見えないのでもったいない、という気分になる自分がどうにも嫌だ。
「あのセーラー服、さ。森さんは何に使ってるんだ? メイド服といい、彼女は機関のコスプレ要員なのか、そういう役職があるのか」
 また着てくださいね、とか、今度は写真を、とか言いながら肩口に吸い付いてくる頭を引き剥がして質問をぶつける。紛れ込んだアレが彼女の所有物であることは古泉が慌てて電話をしたことからも知れている。純粋に疑問である、という顔を見せてやると、彼はそれを覗き込んだまま、笑顔で、
「彼女が、僕のように、現役の学生ではないと、誰が言いましたか?」
 と、言った。いや、それはさすがにどうだろうか。その仮定をよしとすれば、俺は現役女子高校生(中学生って可能性は省かせていただこう)の制服を着込んでしまったことになる。あまつさえ、いやらしいことをしそうにもなった。それは、さすがにちょっと、なあ。
 申し訳ないが、もう一度クリーニングに出そう。きちんとたたんだセーラー服を視界に捕え、俺はそう決心したのだった。







20080401