こうなったら最後までやり遂げるしかない、と決心をして家族に外泊の連絡を入れたところで、古泉が突然室内の暖房機器全てが役立たずであることを告げた。俺ですら名前を聞いたことのありそうな家具屋のショールームから目に付くもの全部買い取って並べてみました、みたいな部屋の中でひとつだけ違和感ありまくりの古い給油型ストーブ。先程までぬくぬくと部屋を暖め、俺の背中を守っていたそれを指差すと彼は、灯油が切れてしまいまして、と可愛らしく舌を出して笑った。可愛らしく、というのはあくまで通常その仕種を行うとき勝手に付いてくる形容詞なのであって、そしてそれを行うのは現実的に考えると女子が望ましいのであり、今のは「可愛らしく舌を出して」までが行動を表現するものなので、…まあ要するに誤用だ。いくら顔が整っていようとも、可愛らしい女の子に程遠いお前は今すぐにその緩んだ顔を鏡で見てくるといい。俺とは比べてくれるなよ、元々のつくりが違うのだからそのくらいのハンデには目を瞑れ。話が逸れてしまったな、
 灯油が切れたなら、部屋に備え付けられているエアーコンディショナーを動かしたらどうだ、あいつは飾りなのか。この数時間を共に過ごしたストーブに思いを馳せながら(そういえばこのマンションだかアパートは灯油を使うストーブを使ってもいいことになっているんだろうか、とか)(この古いストーブはもしかしたら唯一彼の持ち物なのかも知れない、とか)俺が呟くと、彼はあっさりとリモコンをなくしてしまいまして、と溜め息を吐いた。そうしたいのはこっちだ、一軒家ならともかく、このワンルームでどうしてリモコンを見失う。今夜は冷えると、贔屓にしている局アナが告げていたのを覚えている。俺が戦いに出向く直前の記憶なので、それはたぶん夕方のニュースだろう。暖房器具が役立たずであると聞かされた途端に手足が冷えてくるような気がして、影響されやすい我が身にうんざりとした。
「それでこその環境適応能力でしょう」
 くぐもった古泉の声が頭上から聞こえてくる。頭上とは言っても現在の俺の体勢から見て上の方、という意味なので、実際には横からという表現が正しい。変に嬉しそうな彼を無視して手元を見続ける俺、話し掛けてくれるな、今最後の戦いを控え必死のレベル上げ中で、大変に忙しい。
「こんな時間から毛布をかぶっていても、眠くはなりませんね」
 ああそうだな、俺は今寝るためにここにいるわけではないから問題ない。家に帰る時間を惜しんで、エアコンのリモコンを探す時間すらショートカットして、冷えゆく室内を見回した結果俺は古泉を引っ張り込み毛布を頭まですっぽりとかぶっている状態だ。暗い方が画面もよく見える、手の平サイズの液晶は手に取る人を虜にする美しさで、うっかり手に取ってスイッチを入れてしまった俺もまんまと虜の最中なのである。
「そんなに面白いですか、そのゲーム」
「面白いっつーか、最後までやらんと気が済まん」
 そうですか、その声が相変わらずくぐもって聞こえるのは、古泉の方は毛布から頭を出しているからだ。機関から与えられたらしいポータブルゲーム機、封も開けられていなかったそれを見つけた男子高校生の気持ちを考えてみて欲しい。つい最近発売されたばかりのソフトまでくっついているのだ、たまには不思議なことやアナログなボードゲームから離れ、普段は特に興味もない電子機器に没頭してみたっていいではないか。と、言うわけで放課後家を訪れてから今までストーブを背負いつつ小さな画面を食い入るように見つめていた。元々特に用事もなかった上に相方がゲームに夢中となっては、手持ち無沙汰に拍車の掛かる古泉、コーヒーを煎れたかと思えば紅茶を注ぎ足し、とうとうすることがなくなると俺の背に貼り付いたりしていた。夕飯の準備も放棄したので一人で弁当を買いに行った彼はさすがに可哀想かと思ったが、そのあいだに最も強い武器をダンジョンの奥底で手に入れたので相殺した、許せ。しかしお前、こんなものを森さんから渡されるなんて、相当不憫に思われてるんじゃないのか。
「そんなことないですよ、普段文芸部室で何をしているのかと問われた際、あなたとゲームをして平和に過ごしていますよと答えたところ、後日森さんがこれとコーヒー豆を持って訪ねてきてくださったんです」
「だからそれがだな…」
 言いかけて、画面の中の俺が瀕死の状態になってしまっていることに気付く。慌てて操作に戻ると、会話が終わったと判断した古泉が体勢を整え直すように身体を捩った。ちょうど、寝返りをうつようなかんじになって、画面と同じくらいすぐ目の前にあった背中が離れていく。待て待て、何のためにお前を引っ張り込んでいると思っているんだ。ゲームを一時停止させ、数十センチ離れたところにある古泉の腹にもぐり込む。暖房がないからこうして暖を取っている、ということはこの状況もお前のせいだろう、しっかり責任を取れ責任を。
「ちょ、くすぐったいですよ」
「寒いんだよ」
「熱くないんですか、頭まで入って。窒息しません?」
 俺の言葉を聞いてなかったのか、もしくは毛布越しでは聞こえないのか、彼は空気穴のように毛布を少しだけ持ち上げ、こちらの様子を窺った。しばらく毛布をかぶりっぱなしだったせいで目が暗闇に慣れてしまっていて光がちょっと痛い。まだ寝るような時間ではないので、それはそうだ、部屋の明かりはついている。
「シャミセンは一晩中もぐりっぱなしだ」
「それはそれは、羨ましいことで」
 そう言いながら、もぞもぞと身体を丸め自分も毛布の中に入ってきた。ほらな、頭出してたら寒いだろ、と思っていたら、近づいてくる手に画面は遮られ、探るような唇が頭のてっぺんにくっつく。それこそ甘える猫のように、な。
「けれども、あなたは猫ではありませんよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」
「ああ、ほらこんなに顔が熱くなっている」
 そういえばさっきからちょっと息苦しいとは思っていたが、レベル上げに首ったけだったせいで気が付かなかった。頬にあてられた手が、程よく冷えていて心地いい。完全にもぐり切ってしまったせいで空気穴も失った古泉はまだ位置の把握が上手くいかないらしく、あれ、と声をあげながらぺたぺたと俺の顔を触る。お前の手が遮ってんだよ光源を、と液晶から広い手の平をどけた。
「わあっ 眩しいですよ」
「こうすれば見えるだろう」
 暗い中では随分と輝くゲーム画面を顔の前まで持っていってやると、目を細めてはたはたと瞬きを繰り返す古泉。こうして二人揃ってもぐってしまうと、お互いの息が熱くなっていくのがわかるな。離れればすぐに冷える、それは嫌だ。
「しますか?」
「しません」
 ちゅう、ちゅう、と額から瞼から鼻をたどって頬と唇。お前だってそんな気はないくせに、気遣ったふりなどしてくれるな。前髪をかきあげられて、額がくっつく。汗ばんでますよ、と笑う表情はちょうど節電モードで光源としての役割を終えた画面と共に、目の前からふっと消えた。ゆっくりと上唇をなぞりだす舌に、俺は後ろ手に携帯ゲーム機をベッドの端に追いやりながら、ぼんやりと口を開く。
 明け方までにクリアしてやると決意した心も脆く、代わりに差し出された彼の頭をなでてやるのに夢中になってしまった。しかしこれで明日の朝、寝不足でゆらりゆらりと船を漕がずに済むかもな。団長さまのお叱りを受けることはないだろう。まあいい、ゲームの続きはいつでも出来るから、今は寒い思いもせずにこうして丸まっているのも悪くない選択だ。そういう猫みたいな冬の日があってもいい。
 しかし古泉、お前は今すぐ毛布を飛び出して、その緩んだ顔を鏡で見てきた方がいいんじゃないか。暗いから、手で触って確かめるしかないっていうのに、俺はもう、耐え切れそうにないよ。







20080121