さてみなさま、新妻、と聞いて最初に思い浮かぶものを教えていただきたい。にいづま、と読もうが、しんさい、と読もうがそれはこの際関係ないのであるが、俺が個人的にグーグル先生に問い合わせたところ明確な解答は得られず(少なくとも俺の名字が新妻さんでないことは確かだ、…いやたぶんな)恥をしのんで辞書を開いてみれば『結婚して間もない妻』とあった。というわけで、だ。例えみなさまの脳裏に思い浮かぶものが何であったとしても、俺が『結婚』していない時点でそれには該当しないことになる。しかしどうしてヤフー先生はご自分がお持ちの辞書に『妻』を夫の配偶者とお書きになってしまったのか。まあ結局配偶者とは夫婦の一方からみた他方とあり、夫婦とは婚姻関係にある男女の一組だ。はい終了。よって俺は新妻ではない。…このパソコン、どうやって履歴を消すんだろうか。
 高校を卒業し、大学に入学しそして卒業した俺と、古泉は、ルームシェアも二年目に突入してしまいそうな間柄である。およそ年一回に減った閉鎖空間の発生は、今や正月か盆かクリスマスか、と思わず突っ込みたくなる程にカレンダーにあらかじめ印刷してあるような恒例行事となっていた。出動の頻度が減るのはいいことだろうが、勿論それだけで終わる涼宮ハルヒではない。回数分凝縮したような規模で発生するそれに向かう、所謂『戦闘員』たちは毎年一回、死ぬほど働いて帰ってくることになってしまった。人間は、経験を積み、歳を取り、成長していく生き物なので、変化は当然のことだ。俺だって、古泉だって、長門だって朝比奈さんだって同じことだ。二人は今、この時間平面上(だったっけか)にはいないけれど、共有した時間は同じなのだから、やはり同じことだ。…と、どうして俺が今更過去を振り返り、あたかも話を短くする為にかいつまんであらすじをご説明するようなことをしているのかといえば、ルームシェアの相方がその閉鎖空間に出向いているからである。要するに、連絡があったことをすっかり忘れて仕事の帰りにコンビニで酒など買い込み戻ってきてみれば誰もいない、というわけで、暇なのだ。随分と楽観的で、一年分の運動量を使い果たし飛び回っている彼には申し訳ないのだが、いや正直なところ申し訳ないとも思っていないわけだが、取り敢えずビールを一缶開けてみることにしよう。閉鎖空間で、彼が死ぬことはないのだから。
「ーーー…っと、…お! 今回はうまくいきましたね」
 共有のリビングで(言い忘れていたが当たり前のこと部屋は別々にある)ひとり晩酌の体勢に入っていた俺は、うっかり缶を傾けすぎてネクタイを酒漬けにするところだった。何もないところから突然見慣れた脚が二本飛び出てきて、お察しの通り赤い光に包まれているそれは器用に頭のてっぺんまで出現したところで浮遊するのを止め、見事机の上に着地したわけだ。まったくもってどうでもいい配慮だが、彼は出掛けるときに履いていった靴を両手に片方ずつ持っていた。
「どこがうまくいってんだよ、机に乗るな馬鹿」
「ただいまかえりました」
「…おかえり」
 疲れているのに精一杯笑っている、という顔だ。まずは玄関にその両手の履き物を置いてきて欲しいところだったが、それを放り投げて飛びついた先が俺だったので許してやるしかない。彼は最近、というかこれで挑戦は三回目だが、閉鎖空間が消滅する寸前に、その範囲内に家がある場合直接そこへ移動することを覚えたらしい。わかりやすく言えば直帰だな、機関とやらも随分と自由になったもんだ。今回は明け方から出動だったので仮病を使い会社を休んだ彼は、しかし支度を済ませていたが為にスーツ姿である。途中で邪魔になったのか知らんが上着はどこかへ放ってきたのか、後で探すのが面倒だから止めろと前回言った気がするんだが。動物のように真っ正面から突っ込んできた古泉を何とか支え、俺はそっとビールを置く。
「思ったよりはやかったな、喜べ明日は土曜だぞ」
「クライアントからの修正があるので行きますけどね…。途中で電話出ちゃいましたよ。理不尽に叱られている僕を殴り付ける神人の手が、心なしか優しかった気がします」
「電話出れんのかよ、閉鎖空間」
「そういうシステムになったらしいです。いっそのこと圏外だったらよかったんですけど…」
 なんだそりゃ、ハルヒも大人になって仕事における携帯電話の重要性に気が付いたとでもいうのか。笑い事ではないのに、何故か俺も古泉も笑いを堪えて喋っていた。閉鎖空間の変化は、彼女の変化だ。それより愛しいものがこの世界のどこにあるというのだ。甘えて頬を擦り寄せてくる古泉の髪をなでた。自分の胸元に押しつけられているので表情は見えないが、腹と脚に乗っかられている全体重が半端なく重いので、その配慮が出来ないぐらいには疲れているのだな、と知る。
「あなたは明日、お休みですか?」
「おう、規則正しいもんだぜ。お前と違ってな」
「いいなあ」
 言いながら、元々背中に回されていた腕をよりぎゅうと締められた。離すまい、とされているようで悪くない。なでていた髪に、ちゅう、と唇をあてれば彼は、そんなのずるいくちにしてください、と、顔を上げた。よだれがたれそうになるのでさっさと切り上げる素振りを見せれば、古泉は不満そうに頬を膨らませ(この他に以前まで唇を尖らせるというパターンがあったのだが、あまりにも酷い顔なので眼前に鏡まで持ち出して禁止とした)ずりずりと俺の上を這い上がり、頭の高さを揃えてから、
「言ってくださいよ、あれ」
 と、笑う。
「…もう嫌だって言ったろ、その耳は何の為に付いてるんだ」
「いいじゃないですか、一年分、労ってくださいよ」
 さて、ここで思い出して欲しいのが、俺たちはそろそろルームシェア二年目になるというところだが、高校時代から数えれば既に八年は経過しているわけであり、俺が何を言いたいのかそろそろどなたか察してもらえると非常に有り難いのだが、
「…おかえり、飯にするか、風呂に、する、か、それとも、」
「それとも?」
 こんなことを言わされたところで、断じて新妻ぶっているわけではない、っつーことで…。なんなんだ、意味がわからんぞ、そもそも新妻と聞いて最初にこの台詞が思い浮かぶ自分の脳みそをぶっ潰したいね。冒頭でのみなさまと今の俺がどれだけ共通認識を持てたのか知る由もないわけだが、知りたくもない、という気も、しなくもない。最早ついさっき閉鎖空間から直帰してきたとも思えない俊敏さでネクタイを解きにかかるその手を制する理由も特に思い付かず、その時点で終わってるな、とは思うものの、今俺がいちばんにしたいことと言えば足元に転がっているコンビニの袋を時間がないので袋ごと冷蔵庫に突っ込んで、その後は、
「俺、に…」
「あー、もう、入籍したい!」

 ………馬鹿か!
 誰が馬鹿かって、一瞬考えてしまった俺だ!







20081005