ライアーライアー、ぼくはうそつき。

「ちょうどよかった。これを見てもらえますか」
 そう言って僕は扉を指差した。現在自室であるはずのこの部屋の扉にどうして、「そのようなもの」が設置されているのかひとつもわからなかったが、何でもアリな館のことだ、と申請した言い訳はすぐに受理された。
「何だ、これは」
 どうして彼がここにいるんだろう、思いながらそれも受理。
「こんなものがあったとは気づかなかったが」
「ええ、ありませんでしたよ。この館に最後に入ったのは僕です。扉を閉めたときに見ましたが、その時にこんなものはなかったはずです」
 どう見てもそれは館本体の扉ではなかったが、僕は突っ立って、真剣に、扉に貼り付いている金属パネルを見てもらおうとしていた。彼が、書かれた数式と、三つの窪みに困惑しているところへ声を掛け、床を指差す。
「ピースはそこにあります」
(中略)
 セリフを最後まで言い終えることは許されず、僕は彼に胸ぐらを掴まれ引き寄せられていた。
「そんなことは聞いちゃいない」
 直前の遣り取りで多少、頭に血はのぼっていて、このひとは何度言わせれば気が済むんだ、なんて思っていたから、口元が嘲るように歪む。
「異空間はお前の専門だろうが。朝比奈さんは頼りになりそうにないし、ハルヒはアレだ。いつぞやのカマドウマみたいに、お前にできることもあるだろうよ。『機関』とやらは木偶の坊の集まりか」
 言いながら、明らかに自責の念に苛まれている様子の彼を注意深く観察してしまい対応が遅れた。気付いたときには右頬を殴られていて、わかりやすく頭にきた僕は、なんと殴り返してしまったのだった。衝撃で掴んでいた胸ぐらを手放した彼はまるでまんがのように吹っ飛び、その身体は、僕たちのすぐ横にあった扉へと吸い込まれるように消えていった。
「ーーーさん…!」
 咄嗟に普段はあまり口にしないその名を呼び、扉を開く。


 物語の展開上、この場面で表現され伝達されるべきであったのは彼女の部屋に語り手である彼が訪れた際の、涼宮ハルヒの反応である。都合上ページを割いてそれを描くことが出来ない為、しかし間接的ではあるが彼の状況が直前に描かれていることで非常に効果的な演出となっている。俯瞰的ではなく、現地の目で述べさせていただくと彼を訪れるのが朝比奈みくるであった必要性は微妙であったが(4になる人物配置はどうとでもなる)あれは一種の、いや完全なる読者サービスであると言い切っても間違いではないだろう。他者の思考を反映させない一人称で語り進める彼に感情移入するのは容易い。読者の大半が男性である事実、発刊六冊目の時点では明確な真実であったはずである。現時点でリリースの遅れている続刊が出たとき、その男女比率に変動はあるのかも知れないが予定もない未来の話は僕の守備範囲外であるので今は触れないでおくことにしよう。とにかく、長門有希が決死の覚悟で残した鍵のトリック、情報戦の最終兵器は、その役割を確実に果たすと共にメインヒロインである涼宮ハルヒの心情を見事に滑り込ませたわけだ。
 ここからは僕自身、古泉一樹の至極個人的な吐露となる。五人揃って扉を開けたこの瞬間、これはこれは、と口にしたときには既に気が付いていた。何かしらの事情で、何かしらの情報操作で、非現実的な事態が起こったのだということ。各々の部屋に、誰かが侵入し、その誰かが「気が狂ったとしてもしないこと」をした(もしくはしそうになった)のだということ。日頃人間観察が任務の内とはいえ、咄嗟にこれだけのことを判断した自分を賞讃しながらの、これはこれは、であったわけである。結果として冒頭で述べさせていただいた涼宮さんの反応が読者のみなさまに伝わることとなり、当然そこまで予測していたわけではないにしろ、後の大半は僕の勝利であったと言えるだろう。僕の発言は「思わせぶりな」キャラクターとしては秀逸であり、そうしてその後の発言におかしな信憑性を持たせることにも成功している。もしくはその、味方をする、という発言自体が、虚偽ではないかと疑念を持たせることに成功している、と言い換えてもいいだろう。それは読み手の判断に委ねても構わない箇所であると僕自身は思っているので、どちらでも構わない。
 ただ、ここからはほんとうに僕自身、古泉一樹の外枠ではなく中身の話をすることになってしまうが、このとき、嘘を吐いた。それからその直後に強烈な既視感に襲われることとなってしまったのだ。パネル、数式、数字ブロック、脱出路、理想郷とディストピア、超能力、僕に掴み掛かる、彼。ただひとつ違うのは、彼は僕を殴ることなく、僕も彼を殴り返すことなく、吹っ飛んだ彼の身体が扉の向こうへこつ然と消えたりしないことだった。僕は嘘を吐いた。このとき部屋を訪れた彼は、紛れもなく「彼自身」であったからだ。

 館から開放され、用意していた推理劇が閉幕し、すべてをきちんと整理し直したのは後日、と言って差し支えない程に数日も後のことだった。それに気付いたときの絶望といったら、数年前に空を飛ぶ能力を得たとき以上のものだった。彼のところにきたのは(実際に聞いたわけではないが扉を開けた瞬間、そしてその後数秒を観察していれば大方の予想は可能だ)破廉恥な朝比奈さん、涼宮さんのところにきたのは「あんたらしくないことを言ったり、したりする」彼、朝比奈さんのところには「顔を赤らめもじもじと両の指を絡ませて言う必要がある程の、変な」涼宮さん、長門さんのところには(こちらは観察の甲斐なくひとつも可能性が見えてこないが)彼。そして僕のところには「普段通りの」彼。あのときは朝比奈さんと長門さんの所為で見えなかった、見えないままでよかった、真実のひとつを、掴んでしまった。少なくとも五〇パーセントの確率で「本人がそのひとに対して望むこと」をされている。もっと言ってしまえば、部屋を訪れた偽物が好意を抱いている相手である場合、願望として少なからずはあるだろうことをされて、もしくはされそうになっている。
 僕のところには「普段通りの」彼。
 僕が彼に、好意を抱いているにも関わらずだ。

 身体的に、詰まる所性的に満たされるのではなく、精神的に、要するに甘えを欲したりするのでもなく、僕が彼に望むものは「普段通りの」彼。あくまで推測に過ぎず、確証を得る術もない。しかしこれに気付いたときの絶望といったら!
 どう考えても重症だろう、望むものが過少なのではない、過多である故の結果でしかない。しかも唯一望むところがあるとすれば、彼と「殴り合う」ことだ。と、こういった結論を導き出してしまう自分自身が恐ろしい。成就させてはいけない恋路に光を見ること程、愚かなものはないからだ。僕が望むべきは、現状維持、彼女の心の安定、それに必要な彼を促すこと。だからどうか願わくば、

 ライアーライアー、ぼくはうそつきのままで。






20081027