「僕ね、」
 ガタン、ゴトン、と揺れる車両にすっかりと身体を預けながら古泉が、ふいに喋り出した。それまで俺たちは、数分か、数十分かわからないけれどもとにかく、随分と長いあいだ口を開くことなくただ電車に乗っていた。彼を相手に今さら嬉々として喋ることもない、というのも理由のひとつではあるが、俺たちはもう、とてもとても眠かった。とっぷり夜が更けた窓の外に、時折光る街の明かりが眩しい。
「ときどき思うんですよ」
 流れていく、虫のような光を視線の先だけで追い掛けながら、俺は勝手に喋る彼の台詞をただ聞いている。誰も座っていない、ベンチのような椅子。彼はそこに寝転がって、向かいに座っている俺をじっと見た。そういえば、靴は脱げよ、と口にしたのが会話の途切れる最後だったように思う。それからずっと、何とか転げ落ちないように苦心して寝返りをうってみたり、たまりぼろりと長い脚が落ちて踵を床に打ちつけていたり、そういうのをずっと、見ていた。
「あなたとセックスするとき、」
 今が何時なのか確認するのも億劫だが、これが終電であることだけは確かだ。最早どこに何をしに行ってこんな夜更けになったのかも思い出せず、それは計り知れぬ強大な力によって記憶を喪失したとかそういうわけではなくただ単に、眠いからで、あと何分でこれを降りないといけないのかも知らぬまま。
「僕の好きなひとは、このひとなんだなあって、実感するんです」
 ぐっ、と両腕を頭上にのばした彼が蕩けたように溜め息を吐いた。今は仰向けになっていて、左足は窓枠に乗せられていた。俺は当然乗客らしく乗客らしい姿勢と態度で椅子に座っているが、左右に支えのないこの状態ではもうどちらにこの頭が転げ落ちるかわかったものではない。誰もひとがいないと、向かい合った椅子のあいだは存外に広いものなのだと知った。誰もいないので、彼の声はよく通る。
「考えるだけで、見るだけで、触れるだけで、」
 このままどこにも行かずに、着かずに、夜も明けずに、俺たちは死ぬまでここで、起きたり、くだらないことを喋ったり、寝たり、…もし双方の合意が成り立つのならばセックスをしたり、して、ずっとこのままなのではないだろうかという、妙な気分になった。つい数十分前に乗り込んだ電車が、まるで全世界のあらゆる幸福な感情を詰め込んだ霊柩車のようになってしまったようで、しかしそれは当然、俺が眠気に負けて考えたおかしな妄想でしかない。彼は体勢を保ったまま、まだ俺を見ている。
「世界も終わったな、と思うのは、あなたに対してだけです」
 ガタン、ゴトン、と揺れる車両がスピードを落として、駅が近づいていることを俺たちに知らせた。まだ寝転がっている彼はずっと、笑っている。







20081008