あなたはとても優しい人だけれど、他人からの好意に酷く鈍い。と、古泉から言われたときに、こいつは俺のことが好きなんだろうか、と思った。単純に、彼が寄越してくる日頃からの言動と、そのとき発せられた日本語を正しく理解して、そう思ったんだ。加えて勿論、こいつは何を言い出したんだ、とも思ったさ。しかし鈍い、と言われたことへの腹立たしさは次第に、お前が俺のことを好きだってことは知っているぜ、というわけのわからない反抗に変換され、翌日からそれまでよりも一挙手一投足に気をめぐらすようになってしまった。その結果としては、考えていたよりも彼からのアピールが強烈であったという事実と、確かに、これに気付いていなかった俺は少々鈍感だったかも知れないな、という認識の改めだ。後々、それがハルヒのことを指していたと知ったときは、まあ、うん、死にたかったね。

「あなたは変なところで大袈裟なんですよ、いつもは何でも小さく小さく収めようとする癖に。勿論、その処理能力には賞賛の拍手を惜しみませんけれども」
「うるさい、全力で惜しめ、そんなものはいらん」
 俺が気付いていなかった古泉的猛アピールの中に、甘える、というステータスがある。数回、様子を窺うため実験的に行っているのかも知れないという推測の元、注意深く観察したところ(当時の俺は、趣味古泉観察だったので仕方がない)推測はやはり推測でしかなく、これこそが彼の本性である、というところまでたどり着いた。当然、学校にいるあいだはわかりやすく仕掛けてくることもないのだが、些細なところで言うと、まず俺に対する仕草のひとつひとつが甘ったるいという点が挙げられるだろう。例えば首ひとつ傾げるにしても、だ。お前はどこの美少女アイドルなんだっつーぐらいに可愛らしいが邪気はある角度と速度と表情でもって目線はこっち、だ。これをスルーしていた俺は既に過去なのだと落胆するに相応しい未知との遭遇っぷりだった。女子団員相手には、流行りのイケメン俳優も真っ青な、すっきりしゃっきりとした対応をなさるのに、おかしいだろうどう考えても。こうして挙げていけばきりはないわけだが、学外ではそれに拍車が掛かるのでそちらもご説明しておいた方がいいだろう。必要があるのかどうかは知らんが。
「ところで、ご飯、二合は多くないですか」
「多くない。お前はそんくらい食っとけ」
「はあ、そうですか」
 言いながら、古泉は俺の指先をつまんで、爪のあいだに自分の爪を入れてみたり指の腹をくすぐるようにして遊んでいる。反対の手で炊飯器のボタンを押している瞬間だけならともかく、米を洗っている最中でさえ隙あらば手を取ろうとしてくるのだから困ったものなのだ。しかも特に歯の浮くような甘い言葉をぽろぽろとこぼすわけでもなく、いつも以上に普段通りの、いつも以上にくだらない会話を重ねながら、手や、肩や、頬や、髪に触れてくる。と、いうよりは擦り寄ってくる。無意識にやっているなら相当なものだと思うのだが、もしもこの猛アピールに今まで気付いていなかったのだとしたら、と過去の自分を顧みると恐ろしくなるね。
 家の中にいる古泉は、まるで大きな動物のようにゆっくりと動く。ゆっくりと歩くし、ゆっくりと喋る。彼の家に遊びにくるようになったのは、好きだとか嫌いだとか(俺が勝手に)考え始める前のことなのに、最初からそうだったのかどうか、今ではもう思い出せない。甘えているのだろうなあ、と、思うのも、実のところ昨日からだ。炊飯の支度を終えてリビングに戻ろうとすれば、手の先をつまんだまま、ととと、とついてくる。
「宿題見てくれよ、飯までまだ時間はある」
「いいですよ、英語ですか?」
 言いながら、頬に目元をあててきた。意外と短いまつげが肌に触れて、しかし密度の濃い毛はばさばさと表面をくすぐる。薄い唇が、射程距離以内に近づいてくるたびに、好きだとか嫌いだとかいうはなしはいつしよう、と、思ったりもした。
「あ、」
 洗濯機が、洗い終わったから取り出して干せ、と機械音を鳴らす。
「宿題の後に、しますか?」
「いや、今干しちまおう」
 ととと、と古泉が洗濯機に向かってゆっくりと歩き、一週間分の洗濯物を抱えてゆっくりと戻ってきた。彼は、甘えることにてらいはないのに、その大きな身体で俺を抱きしめることはない。それが、あまりに自然であるから、
 大きな動物を抱いて、褒めてやるのは、俺の役目だった。

 って、あれ?

「優しいですね」
「ああ、まあ、なんだ、授業料、とか?」
「ふふ、どうして疑問系なんですか」
 ゆるゆると、手をまわしてもあいだのかごが邪魔なので、湿った制服のシャツを引き抜いて踵を返す。こんなときにだけ甘えたになる古泉は、俺の後頭部にゆっくりと鼻先をくっつけ、動物のように短い髪を食んだ。
 あなたはとても優しい人だけれど、他人からの好意に酷く鈍い。と、彼が言わなくなった時点で、気付くべきだったんだろう、な。







20080327