性交渉時に必要となる用品を購入する際は必ず二駅以上先のドラッグストアで、という決まりが僕たちのあいだにはある。間違ってもその手の専門店に入ってはいけないし、二回連続で同じ店舗を訪れることは絶対に禁じられていた。前提条件として、そのすべてはたったひとりで行わなければならない。さて、お察しの通りこれらの決まりごとは恋人から一方的に提案され施行されているものなのだったが、これがもしもその二十年強の人生をかけて全力で恥じらった結果なのであれば僕だってもっと真摯に厳守するのだけれども、このいくつかの決まりごとは油性ペンで新聞広告の裏に書き殴られ堂々と寝室に貼ってある。守られなければ困ることだとは確かにこちらも承知はしている、しているがその徹底ぶりは正直いかがなものかと思う、だけで言ってはいない。そもそもそういったものを買い出してくるのは常に僕の役割であったし、彼は、例えばコンドームの袋を破くのもあまりじょうずにできないのだった。手馴れられるのも何なので、それはそれで構わないと思っている。いやそれとこれとは話が違う。とにかく、僕には遵守すべき約束事がいくつもあるということだ。それはいつも彼から齎され、そしてその彼というのは、高校時代からの友人であり、幾多の苦難を共に乗り越えてきた戦友であり、今は住居を共にする、同い年の僕の恋人。こういった短い話では定番の展開だが言っておくと、取り敢えずここでは恋に落ちた経緯など諸々省かせていただくことにしますね。
「古泉、今日の夕飯どうする。俺たぶん作る時間あるわ」
「そうですねえ、…冷蔵庫の中、何があるんでしたっけ」
 約束事があるふたりのあいだには、当然秘密の合図も設けられていた。朝、出掛けに彼が僕に夕飯のことを問う。どうやら本人にそのつもりは特にないらしい、とここ数年で気付いてはいたが、出来る限り俗っぽい言い方をすると要するにyesの日、ということだった。彼がそういったことに対してぎりぎりまで鈍感であるのは最早愛すべき点であり、意識的でないのにyesと書かれた枕を僕に突き出してくれるその事実は突き詰めて考えれば恐ろしいほどに恐ろしいことだ。自分で何を言っているのかわからなくなるくらいにはテンションがあがる。というわけでこのとき僕の心臓は口から吐いても満足ができないくらいに跳ね上がっていたのだったが、そんな素振りを微塵も見せずにたいして興味のない冷蔵庫内を必死に思い出そうとしていた。出社時間が僕より遅い、というか会社が近場なのでまだ余裕のある彼は全然うまくもない鼻歌を機嫌よさそうに歌いながら冷蔵庫を開けたり閉めたりしている。やべえかわいい、と口にしてしまったら終わりだ。ここは慎重にいかなければならない。
「買い出しが必要そうですか?」
「んー? そうだな、まあ帰りに寄るよ」
「でしたらそれまでには必ず、連絡をします」
 一分一秒でも長く自分の家にいたい、と思うのはこんなときぐらいだ。しかし今飛び出さなければ確実に電車を逃すし、それを逃したら完全に遅刻である。同じ家に住んでいて、ほぼ毎日同じベッドで寝ていて、合図がなくたってセックスをする日はどれだけでもあるのに、やはり彼からのアクションには心が躍って仕方がない。社会人になって数年、共に居られるだけでも幸せだと、知っているのに欲張ってしまう。恋とは、愛とは、往々にしてそういったものだろう。
「お前そう言って、いつもメールすんの忘れるだろう。いいよ、俺が食いたいもの作る。それを食え」
「…機嫌を損ねてしまいましたか」
「別に」
 たった今遅刻が決定したわけで、しかしそんなものは実のところどうにもでもなるのだった。高校時代、口から生まれたのではないかと罵られ、鸚鵡と仲良くしていたらどうだと突き放された僕はあれから数年経っても未だこの口を武器に出来る。言い訳なんて吐いて捨てる程にご用意できますよ、なんて、寸前思い浮かべた上司の顔も、
「はやくいけ」
「ちゅうしてくださいよ、そうしたら走れます」
「…馬鹿か」
 冷蔵庫に彼を押し付ける瞬間に砕け散って消えたね。



 まだコンドームあったかな、とか考えて、家を出て家に帰ったのが悪かった。いや、いいところを見つける方が難しいこの状況で、帰宅後の僕が叱り付けられているのもまあ、特に理不尽ではない。せめてもの救いはお互い裸になる前だった、というところかも知れないが、半端に勃起している状態なのが最低だ。手料理に浮かれて、いつもなら絶対片付けをしてからじゃあないと何もさせてくれない彼が自らキスをねだってきて、ああもうしんでしまっていいかなと思いつつ、まるで高校生みたいにいじらしくさわりっこしてたそのときのことだった。気付いた彼が、手を止めて、僕の髪を引き千切る程の力で掴んだのは。
「古泉、お前は、この貼り紙が、ただの飾りに見えるのか」
「インテリアにしては少々情緒に欠けるものであるとは常々、思ってはいますが」
「こいずみ」
「はい、すみません」
 僕のそれから手を放して、彼が持っているものは、コンビニのロゴ入りセロテープがバーコードを隠すように貼り付けられたコンドームの、箱。気付かれてしまった、それが、横着をして最寄のコンビニで購入したものだということを。
「…あなたがいつも、コンビニで袋を貰ってくるのを嫌がるから、その、癖で、袋いりませんって、」
「そういうことを言っているんじゃあないだろう」
「はい」
 性交渉時に必要となる用品を購入する際は必ず二駅以上先のドラッグストアで、という決まりが僕たちのあいだにはある。間違ってもその手の専門店に入ってはいけないし、二回連続で同じ店舗を訪れることは絶対に禁じられていた。現時点で守ったことと言えば、それをひとりで行ったということだけだ。そのシールが証明しているのは、購入した店舗がドラッグストアでないついでに、家から徒歩数分の通い詰めたコンビニエンスストア名が記されているということだった。僕が、実のところ極度の面倒臭がりであると知っている彼は直感的にわかったことだろう、そのコンビニがどう考えても二駅先のそれではないということに。
「約束を破ったことはまあいいだろう、いつかはやると思ってた。問題はそこじゃない」
「いつもの子でした」
「最悪だ!」
「だって、僕は、その時間しかコンビニに立ち寄れなくて、他のスタッフは品出ししてたんです!」
 お互いの性器を放り出したまま、ベッドの上で、まったく何をやっているんだ僕たちは。彼の顔は羞恥に赤く逆上せている。それが僕の手によるものだったらどんなにか、と思うのだが、これはお気に入りの店員にコンドームの会計をさせた相方に対する怒りでしかない。最寄のコンビニには、涼宮さんと朝比奈さんと長門さんを足して三で割ったようなアルバイトがひとりいるのだった。その子は彼のお気に入りで、まあそんなことは本人は知る由もないのだったが、とにかくお気に入りなのだ。
「あの、あの、コンビニでそれを買ったのはもう随分と前のことで、どうしても、ほら、ゴムがないとしないって言って、あなた、拗ねたことがあったじゃないですか」
「拗ねたとか言うな! 当然のことだ!」
「そう、そうでしょう、だからそのときに買ったんです、慌てて、だから、…約束を破ったことは素直に謝りますほんとうに申し訳ありませんでした、でもそんなことで僕の愛情が試されるのかと思うと、」
「そんなことはどうでもいい!」
 えええええ、どうでもいいって、そんな。彼は今自分がどんなに滑稽な姿で僕を叱っているのか忘れているのだろうな、あの涼宮さんと朝比奈さんと長門さんを足して三で割ったようなアルバイトにコンドームを触らせたことがそんなにも。確かにあのコンビニに出向くときは、帰宅時か、家で足りないものがあったときなので、僕たちがふたり揃っている確率は半々だ。彼女もそれを知っていることだろう。よく見掛けるし、常連さん、の範囲内であることは間違いない。しかし、しかしだ。彼からyesの日であると申告を受けた今日、なにもそんな素晴らしいこの日に、コンビニのアルバイトが原因で叱られるなんて。僕はさりげなくふたりぶんの着衣を整えながら(説明する暇がなかったが、直前まで僕たちは向かい合って抱き合って性器を擦り付け合っていたので随分と近い距離にある)一時休戦となること覚悟で、精一杯の悪態を吐くことにした。
「…あの子、喋るとき顔が近すぎるんですよ」
「お前が言うな!」
 ぼこっ、と頭頂部で跳ねる投げ付けられたコンドームの箱にはたぶんまだ半分ぐらい入ってて、それなら今日買いに行かなくて正解だったな、なんて、暢気なことを思うのは、怒っているあいだも彼の片手は、ずっと僕の指を握っているからだ。







20090514