テレビゲーム メルヘン 病院 料理 子供

絵チャにいた面子がひとりひとつ出したお題をまとめてこなしてみようという挑戦






 目が覚めたとき、となりで妙な微笑みを浮かべながら林檎を剥いていた古泉は、任務のような挨拶を一通り済ませた後にこう言った。俺は敢えて、怒涛のような不思議体験には触れず受け取った林檎を咀嚼しているところだったので、一瞬彼が何を言わんとしているのか理解しかねて反応が遅れる。
「あなたがそうして寝ているあいだ、幼い少年が幾度か見舞いに来ていたそうです。僕がここにいるときには見掛けていませんから、どのような子どもなのか、どういった理由であなたのところに来ていたのかは存じ上げないのですが、」
「待て、そんな一気に喋るな」
「これは大変失礼しました。病み上がりの身体を考慮もせず、申し訳ありません」
 ふたつめの林檎を剥きながら、古泉はほんとうに申し訳なさそうにそう言って、すぐに笑顔を取り戻した。どうせなら普段の嫌味な微笑みを捨てずに申し訳ないとも思っていないだろうに申し訳ないとわざわざ口にするような、そういう態度で向かってきて欲しい。俺が実際にこのベッドで数日を過ごしていたらしい何よりの証拠となってしまうから、出来るだけ笑っていろ。病み上がるどころか元々病んでもいないのだが、気分的にはそれと同等のものがある。それにこの古泉が、他人が自分の話していることを理解しながら聞いているのかどうか判断しながら喋ってくれるなら、それに越したことはないじゃないか。そう自分に言い聞かせて、あたかも病み上がりであるような顔をしてみる。
 全く身にならない世間話でも、それを話すのが古泉でも、病室で一人黙っているよりはずっといい。
「話の続きになりますが、」
「おう」
「朝比奈さんのおっしゃるところでは、あなたによく似た少年だったそうですよ」
「俺に…?」
 見舞いに来ていた、と言われても、俺が知る限りで幼い少年に知り合いはいない。親戚の方ですかね、と古泉は言うが、いとこやはとこは近所には住んでいないし、母方の田舎にいる子どもたちの中には確かに小さな子もいるが、わざわざ見舞いに来たりはしないだろう、と思う。似ている、と言われたので親戚の面々を思い返してみたが、親戚という括りを外したところで、そんなちびっこの知り合いはいないのだ。
「妹の友だち、とかかね」
「いえ、そのような年齢ではないそうですよ。あなたの妹さんは、確か小学五年生でしょう?」
 もっと、ずっと幼い子どもなのだと古泉は言う。彼自身が目撃したわけではないので情報はどうにも曖昧だったし、ハルヒでもあるまいし気にかかったことを全て解決しようという心意気もない俺は、なんにせよありがたいことだ、と一人納得しようとしていたのだが。
 こんこん、と扉をノックする音がして、古泉が立ち上がった。おいおい包丁を持ったまま歩くんじゃないぞ、そうそう、林檎といっしょにそこに置いておけ。
「食事かも知れませんね。病院食、召し上がったことありますか?」
「ないな。ないし、いい噂も聞かん」
 確かに、と笑いながら、古泉が扉の方へと向かう。大きな引き戸は静かに開き、てっきりドラマでよく見る病院食を運んでくるナースが登場するのだと思いきや、
「わあ! お兄ちゃん目が覚めたの!」
 扉のまん前に立っていた古泉を吹き飛ばす勢いで病室に駆け込んできたのは、視線をずらさなくては認識出来ないほどの背丈、これが朝比奈さんたちが出会った少年なのか?
 いや待て、というかこれは、
「あれ、今日はゲームないの?」
 俺、じゃないか…?
「ああ、そう言えば、涼宮さんはテレビゲームを持ち込んでいるという話をお聞きしました」
 呆然とする病人をよそに、笑顔の古泉は特にダメージもなさそうにベッド付近まで戻ってきた。そのあいだにも、少年はきょろきょろと室内を見回し、うっかり視線の合ってしまった俺目掛けてダイヴを決める。
「おわっ…!」
「お兄ちゃんよかったね、みんな心配してたんだよ」
「そ、そっか」
「起きたらいっしょにゲームしようねって、お姉ちゃんたち言ってたのに、ないの?」
 少し身体を起こしていたところをよじ登るようにして下から見上げてくる少年は、見たところ、五歳、くらいか。
「お兄ちゃんは持ってないの? 戦うやつでね、黄色いリボンしたお姉ちゃんがすっごーい強いの!」
「すみま、…ごめんね、お兄ちゃんはテレビでやるゲームは持ってないんだ。今日は彼が、…このお兄ちゃんが目を覚ますような気がしたから、林檎しか持って来てないの。いっしょに食べる?」
「食べる!」
 子ども相手に何を拙い喋り方しているのかと思えば、どうにかして敬語を使わないようにしていたらしい。気を遣うところが間違っているんじゃないか、と思いながらも、俺の上に乗っかりながら林檎を受け取ろうと手をのばしている少年に思わず、
「ありがとう、だろ」
「あ、そうだ、ありがとうお兄ちゃん!」
 と、まるで兄のようなことを言ってしまった。いや兄ではなく、どこをどう見ても目の前にいるのは五歳の俺なのであるが、なんだこれは、頭が回らん。
 むしゃむしゃと林檎に噛り付く彼は、他人から見れば今の俺と同一人物に見えないものなんだろうか。ぼんやりとそんなことを考えていると、遠くから、ほんとうに遠くからとても小さな音で院内放送が流れ、その声が呼んだのは、
「わっ! 診察のじかんになっちゃった!」
 俺の、名前。
「また来るねお兄ちゃん! 次はリボンのお姉ちゃんとゲームしようね!」
「おう」
 台風のように去っていく少年の後姿を見送りながら、溜め息を吐く、と同時にとなりからも溜め息が漏れ、視線をやれば古泉が何とも気の抜けた顔をして椅子にへたりこんでいた。
「…お前、ゲームはアナログだけって決めてんのか」
「そういうわけでは、ありません、よ」
「言っとくが俺の家にはあるぞ、テレビでやるゲームくらいな。ボードゲームも悪くはないが、たまには…」
「どうして」
「え?」
「どうして幼いあなたがここに…?」
 お、古泉お前は気づいたのか。何だかもう状況把握に頭を使うことを放棄していた俺は、どれひとつ褒めてやろうかと声を掛けようとしたにも関わらず、古泉は何故か顔を真っ赤にして、更にはそれを見られまいと両手で覆い俯いてしまった。震えているようにも見えるが、そんなにショックだったのだろうか、俺からすれば、転校したはずのクラスメイトが再び姿を現し襲ってくるよりは随分と穏やかで優しい不思議体験だと思うのだが。環境適応能力もここまでくると病気だな、と病院で考えるのもシュールなはなしだ。
「おい、大丈夫か古泉」
「ええ、だいじょうぶですよ、僕は今、何も知らないあなたと会話をした、その事実に打ち震えているだけです」
「気持ちの悪い言い方をするな」
「どうにでも言ってください。僕はもうしばらく感動の渦に巻き込まれますから」
 どんな渦なんだそれは、絶対に俺は巻き込んでくれるなよ。そう思いながらも悪い気はしない、少年が食べた林檎の余りに手をのばし、未だこちらを見ようとしない古泉を放置していくつか口に放り込んだ。上手に剥くもんだな、薄く剥かれた赤い皮を見ていると、ぼんやりとした眠気が静かに俺を呼ぶ。起きたばかりなのにおかしい、と思いながらも、逆に寝すぎて眠い、ということもある。と、自分に言い訳をしながら起こしていた身体をまたベッドに沈めた。
「すこし、寝る」
「えっ、あ、はいそうですね、無理はいけません」
 まだ耳まで赤い古泉が両手を頬に添わせたまま、おやすみなさい、と笑った。いつもの数百倍は緩んでいるその表情はなかなかに気持ちが悪い。俺が起きたって連絡をしたなら、そろそろハルヒたちも駆け込んでくるんだろうからそれまでには直しとけな、その変な顔。
「ちょっと、失礼ですよ」
「あははっ」
 ベッドに潜り込んで目を瞑ると、睡魔はすぐに俺を捕らえた。

 次に目が覚めたとき、古泉はまた林檎を剥いていた。さすがにもういらんだろう、と思って身体を起こそうとすると、彼は一瞬ひどく驚いた顔をした後に、
「やっとお目覚めですか」
 と、泣きそうになりながら微笑んだ。何を言っているんだこいつは、訝しがりながら話を続けていると、ベッドの下で何かが動く気配。寝袋からのぞく見慣れた黄色いリボン、え、ハルヒ…?
 後の展開は誰にでも予想がつきそうなので省略するが、要するに俺は、たった今、あの世界から帰ってきたようなのである。合間に夢を見るとは、随分と余裕があったもんだな。医師が駆けつけ怒涛のような検査の後、帰り際古泉が、
「それでは今度、あなたの家にお伺いします」
「は?」
「デジタルなゲーム、楽しみにしていますよ」
 そう言って、笑った。少し赤らむ耳には見覚えがある。
「勝手にしろ」
 さて、俺の表情は、ちゃんと病人らしく弱って見せられたかね。思わず緩んでしまいそうな口元を、俯いて隠した。







20080112