ハルヒが突然、学校に来なくなった。

 登校拒否という四文字が死ぬほど似合わない彼女の身に何があったのかは知らないが、取り敢えず俺は今日も放課後は旧館に向かう。部室の扉を開ければ、古泉がちょうどオセロの盤を広げているところだった。ハルヒの足跡だらけの扉を、そっと閉めながら問う。
「朝比奈さんは?」
「まだ」
 古泉に話しかけたつもりだったが(何せ俺は今まさに彼の目の前に着席した)、問いに答えたのは窓際の長門だった。相変わらず手元から目線は外さず、彼女の声を知らなければきっとどこから返答がきたのかわからない。ポルターガイストか?とか、そういう陳腐な推測で遊ぶのは、ここでは洒落にならないのでやめておこう。目の前の古泉は、黙々と白を黒にひっくり返している。
「ハルヒ、も、来てないよな」
「ええ」
 今度は長門の方を向いて言葉を投げたのに、気のない応えを寄越したのは古泉だった。長門が、少しだけ目を細めるのが見えた。
「来ないのではなく、いないのですよ」
「は?」
「彼女がそう望んだから」
 またそれかよ、と明らかに呆れたリアクションを取った俺を古泉は笑う。そうしながら、白黒の半分を差し出す。押し返す理由もないので素直に受け取った。
「平和であることの何が不満なのかね、あいつは」
「さあ、ブルーデーなんじゃないですか」
「その笑顔でそういうことを言うんじゃありません」
「これは失礼」
 全く失礼だとは思っていないような、もしかすると心底反省しているかも知れないような、要するに酷く胡散臭い素晴らしい微笑みで古泉は次々と白やら黒やらを反転させる。生理になったくらいでこの世から消えてたまるか、思いながら最低限の配慮として長門に視線をやった。こういうときは、彼女のわれかんせず、という姿勢に救われた気持ちになる。
 古泉は、来ないのではなくいないと言った。しかし、ハルヒが何らかの理由でこの世を儚んでいたのであれば、ハルヒ自身がいなくなるのはおかしい。世界の中心にいる彼女がいなくなるのは、
「あれ、」
「お気づきですか?」
「あいつ今、ここにひとりでいるのか」
「そう、追い出されたのは僕たちなんですよ」
 いわゆるパラレルワールドだ。ハルヒはひとりになることを望み(しつこいようだが理由はわからない)、それが叶った結果、俺たちは彼女の世界から弾かれ、ここにいる。あたかも、こちらが現実であるかのように。そう考えればハルヒは今も、この部室にいるに違いなかった。ひとりで、もしかすると、今長門が座っている場所に立って夕陽を見ているかも知れないし、俺たちがオセロを広げているこの机に突っ伏しているかも知れない。ひとりで、誰もいないこの部室で、
「遅れてごめんなさいです〜!」
 そのとき突然扉が開いて、慌てた様子の朝比奈さんが飛び込んできた。俺は不覚にも、肩をびくつかせ、わりと勢いをつけてそちらを振り返る。
 ハルヒかと、思ったのだ。
「全く、羨ましいですね」
 朝比奈さんの超音波みたいな、悲鳴みたいな喋り声に隠れたかと思いきや。いつの間にか盤の上を有り得ない割合でうめていた古泉がぽつりと言った。天才的な大敗を見せる黒を白にひっくり返す彼は笑顔のまま。もしかすると、彼もこの世を儚んでいると言い出すのだろうか。悪くはない、と思うが、わざわざ学校にひとりでいる理由もないので俺個人の意見としては、たいして羨ましくもない。
「ああ、違いますよ」
「なにが」
「さあ、もうワンゲーム」
 本を読み終えたのか、視界の端で長門が小さくのびをした。いまさらだが、古泉の声がいつもとは違う気がする。朝比奈さんが煎れてくれるお茶は、今日もおいしい。

 あとはハルヒが、その扉を蹴り破って姿を見せるだけで、って、

 それが俺の日常、か?



 彼女が突然学校に来なくなってから、三日目のこと。







20070706