「最近さあ、ちょっといいかんじなんだよね、何て言うの、反応が?」
 昼休憩後の喫煙所、昼食を早々に平らげ仕事を再開するまでの短い時間、毎日のように俺たちはここに集っていた。他二人の事情は知らないが、食事後の煙草が格別であると思っている俺は禁煙ブームの今、この場所でしかその至福を味わうことが出来なくなっている。だから別に、こういう場を設ける為に毎日この時間ここに通っているわけではないのだ。他の会社に比べればまだ快適なこの喫煙所、基本的に喫煙者が少ないのか、ただ単に遠慮しているだけなのか(俺の部署がある階は女性社員が多い部署も入っている為、と思ってみたり)(配慮の無い考えだとわかっているので口には出さないが)とにかくここを利用する人数は限られていた。南はともかく、千石にいたっては階が違うにもかかわらずわざわざこちらまで下りてくるのだ。昼食をいっしょに食べることが多いからその流れで、と言えば自然であるし聞こえもいいが、そうでないときもやってくるのだから、まったく。溜め息を吐かざるを得ないだろう、いや別にそれが困ると言ってるわけではないただ、溜め息の原因は別にあるという話だ。それがこの、ひとり言のような千石の、
「今までちょっとつれないなーってかんじだったんだけどさー」
 完全に矛先の定まっている恋愛相談だ。彼はいつも決まって灰皿の横に立つ。安息を求めている俺と違って、吸っても吸わなくてもいい、と言うような吸い方をしながら長い煙草を器用に右手で弄びながらうたうように困った困ったと繰り返すのだ。変に気が乗っている様子のときには、火が着いたままの煙草を人差し指の上でくるりと回したりするものだから、そういうとき俺は大抵見ないふりをするのだけれど、殆どの場合俺と千石のあいだに座っている南は毎回酷く顔を引き攣らせる。可哀想に、と思うのは。
「こないだメールしたら、ちゃあんと返事きたの!内容も可愛くてさー」
 灰皿のふちに、煙草をくるりと擦り付けるようにして、少し屈めた腰に手をあてて、その視線の先には南。ああ、ほんとうに、可哀相だ、と。
「…よかったな」
「うん、ありがと」
 何と言ってやったらいいか、という表情で、千石の恋愛経過報告を聞いてやる南は毎回真面目に、けれども決まってそう返す。確かにそれ以外言い様は無い気もするが、千石の顔を見ているといつか自分の階で吸ってくれ、と言い出してしまうような気がして自分が心配だ。南は千石の話を聞いているのかいないのか眉をひそめて(それが彼の煙草を吸う際の癖であることは知っているが)話を振られたときだけよかったな、と返す。間違ってはいないよ南、ずっとそうすればいいさ。
「でさー雅美ちゃん、ねえちょっと聞いてる?」
「え、ああ、聞いてるよ」
「灰長くしちゃってさーなに、俺が喋ってるのに余所事?」
 にやにやと、吸わずに灰を長くしてそれを気取られないようこまめに落としているのはお前の方じゃないか、思いながらもそれは飲み込んで煙草で栓をする。それでも追い付かないときはぬるくなったカップのコーヒーまで持ち出して流し込むのだ。俺は出来れば、なるべく、ここに係っていたくない。そういう本音もいっしょに飲み込む。彼らは大事な同僚であるから、南も、当然千石も。
「その子も煙草吸うんだけどさあ、好きで吸ってるはずなのにしかめっつらするの、それが可愛いんだけどねー」
「千石の彼女は、煙草を吸うのか」
「やだなーまだ彼女じゃないってば!南は煙草吸う女の子嫌い?」
「いや、別に…」
 ふう、と煙を吐くそれは溜め息とは別物なのかどうか、南は短くなった煙草を惜しむようにまだくわえている。そういう癖なのだ、同様に今、しかめっつらであることも癖で、無意識だ。殆ど吸わないのに長いうちに揉み消してしまう千石のそれも、癖で、ちらちらと視線が泳いでしまっているのもきっと、
「雅美ちゃんは?」
「俺は、女の子は吸わない方がいいんじゃないかって思うよ」
「そう」
 無意識なんだろう、虚勢を張るぐらいなら止めればいいのに、まったく。立ち上がり、二本目の煙草を半分程で灰皿に押し付け、至福の時間になるはずのそれはいつもそうして終わる。そして俺の後を追い掛けてくるように千石も煙草をタールで茶色く淀んだ水に慌てて投げ込むのだ。
「南、先行くな」
「おう」
「じゃーねーみなみ」
「おう」
 少し振り返って、南に言葉をかけるとき。後ろからついてきている千石もこちらを向いていて、その表情は。
「お前さあ」
「…なんですか」
「二人でいるときにやってくれよ、頼むから」
「はあ?それじゃ意味無いじゃん!気遣えよ!」
「お前…」
 千石が口説き倒したいのは、南だ。直接、こういうことなのだ、と言われたわけではないがそんなこと南以外ならわかる。そんな遠回しで気付くものか、そう言ってやるのも面倒で。千石が、南が出ていくまであそこに残って、彼の吸い殻を持って帰るようなことをしないだけまだマシか、取り敢えず俺はそんなことにまで頭が回ってしまう程うんざりとしているわけだ。
「千石」
「…なあに」
「今日俺ら、残業だから」
「…そ、そうなんだーお疲れさま!」
 とんっ!と俺の背中を叩いて小走りに階段へ向かう千石の背中がどう見たって浮かれていて笑える。夜中、千石に、まだ会社に残っているのか?とメールを返してしまう、仕事に疲れた南が悪いのだ。これくらいのことで俺の喫煙タイムに安息が訪れるのなら南だって少しは協力してくれてもいいよなあ、とぼんやりと。階段を二段飛ばしで上がっていく軽快な足音を聞きながら、煙草の味が残る咥内を余ったコーヒーでゆすいで、空いたカップをゴミ箱へ命中させるべく集中して狙いを定めた。





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喫煙南そのよん
20051126