苛々とするときに煙草、というのはきっと、喫煙者だったら誰もが経験することだ。吸えなくて苛々する、というのは例えば、就業中であったりそれこそ会議中であったり、手に一本すら取れない状況をさすのが普通だろう。それがどうだ今は、口に煙草をくわえるまでは可能だし何よりここは自分の家であるから周囲を気にしてベランダへ出ることをしなくてもいい、頭の奥が少々ズキズキと痛むがそれも原因はわかっている、ひとつの要因を除いて他の全ては揃っているのに、だ。手元にあるはずの火が無い。いつも煙草とセットで置いておくのが自分の癖だというか喫煙者の大体はそうであるはずだ、そろだろう?火の着かない煙草がどうして心を落ち着かせると言うのだ。チェーンスモーカーでもないのにそんなことをぐちぐち思うのは、痛む頭の奥と、こうなっている原因がひとつ、思い当たるからで。
「似てるっつったのは自分だろーが…」
 思わず普段使わないような口調がこぼれた。頭が痛いのは酒の所為で、起き抜けに煙草が吸えないのは千石の所為だった。二日酔いの朝に吸う煙草は酒のあいだと仕事終わりに並ぶ程の至福であるというのに。首から下がっているだけになってしまった結ばれていないネクタイを引き抜いて起き上がろうとすれば余計に頭が痛んだ。家のどこかに火があることは確実だしいざとなったらキッチンまで行ってコンロで火を着ければいいのだが(以前試したときに危うく髪を焦がしそうになったので出来れば避けたいが)今それも叶わない。それほどに頭も身体も重かった。
「この罪は、重いぞ千石…」
 苛々しているのに煙草が吸えない、煙草が吸えないから苛々する、何て悪循環。普段使っているライターが少し変わった形で、それは父親から貰ったものだったけれど、たまたま同じ型のものを千石も持っていて、まあ予想は付く、そういう流れだろう。昨晩馴染みの仲間を呼び集めて飲んだことは覚えている。そこには当然千石もいて、深夜、最後の方の記憶になるが、彼が煙草を吸っていたことも、覚えている。手に持っていたライターが、やはり自分のものと似ているなと、頭の片隅で思っていたがもしかすると既にそれは自分のものだったのかも知れない。勝手に持って帰った、というと泥棒のようで聞こえが悪いがそのようなもの。たった今煙草を吸えなくした原因を正当化してやることは到底不可能だった。
「あー、あー、頭いてー…」
 喉もがらがらと乾いている、けれどもどうしても口にくわえた円柱を吐き出すことが出来ず、中途半端に起こしていた身体をぼすんとベッドに沈めた後、見えない手元だけでがさがさとソフトケースを手遊びするようにいじった。すると、こつんと爪にあたるかたいもの。そのまま指の腹を滑らせるようにすると少し冷たい、プラスチックの感触であるようだった。それには、思い当たるところがあって、思わず勢いを付けて身体を起こす。ずきいっと頭が痛んだが、それよりも手の中に掴むことの出来たどピンクのプラスチックに心を躍らせた。ソフトケースの中に、捩じ込むように百円ライターが入っていたのだ。喫煙者ならよくやることだが、自分でそうした覚えは無い、酒が入っていたときに今のように手遊びでもしていたのだろうか。
「どっちでもいい…」
 親指で強く擦ると、橙の火が上がって、それにゆっくりと顔を寄せた。じじっと先が燃えて、強く吸って、肺に入れて、またゆっくりと、それを部屋に吐く。落ち着きはするものの違和感、違う、これは、
「あいつ…!」
 意図的なものかどうかはわからない、ただわかるのは、ソフトケースにライターを捩じ込んだのは自分では無かったという事実だけだ。記憶が無くなっていたわけではないという安心はあったが、それよりも。

 今手の中で燃え、身体を蝕み落ち着かせたのは、千石の吸う煙草だった。

 呆れて手遊んでいた箱を目の前にかざせばそれは確かに、煙草に関してはひどく浮気性な彼が唯一好む、幸運を謳った銘柄で。味の違いには気付かなかった何せまだ酒が残っている。けれども煙草は煙草に違いは無いので二回、三回、と口を付けた後、ふいに頭を過った千石の声、それは昨晩の、数時間前のことだ。
「銘柄違うとさあ、キスしたとき味がまざって変なかんじだよね」
 ああどうかこれは、他のやつらが酔い潰れた後であって欲しいと、火が着いたままの煙草を手にしたまま、頭を抱えた。





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喫煙南そのいち
20051123