「さーいしょっはっぐー!」
「ちょ、待てよ千石ずりいぞ!」
 部室を出て、南が施錠をし終わって、振り返った瞬間に行われる決闘。毎日のことなのに南は週に一回はその直前で抗議の声を上げる。やれやれと全員分の荷物を足の引っ掛からないところに避けて、東方は遠くからゆらりと煙を引き連れてやってくる亜久津に手を振った。そんなジェスチャーをしなくてもお前みたいにでかいのはどこにいたってわかる、言ったところで東方が手を振るのを止めるとも思わないので(それをされたからって手を振り返す事などしないのに毎日決まり事のように続けているのがその証拠だ)亜久津は特にそれについて口を開く事は無い。
「なーにがずるいんですかー」
「最初はグーって、それ、お前んとこのルールだろ」
「もーまたそれー?しつこいよ南、関東圏はみんなそうだって言ってんじゃん」
「ちげえよ、なあ東方?」
「それさあ、南は東方としかじゃんけんしたこと無いだけなんじゃないのお?」
「んなわけねえだろ!じゃあ亜久津にも聞こうぜっ」
「前にも聞いたよーねえ雅美ちゃん?あっくんも最初はグーだって言ってたよね」
「うん、言ってたね、ほら、亜久津も来たから最初から」
 関東圏、っつーか全国的にそういうもんなんじゃねえの、週一で繰り返されるこの押し問答に巻き込まれない為に亜久津は毎日屋上から彼らの様子を窺っていると言っても過言ではない。テニスはもう止めてしまっているから練習に出る必要は無いが、東方がいっしょに帰りたいと言うので特に断る理由も無くそれに付き合ってやっているだけだ。家に帰ってもどうせ寝るだけなのだったら、彼らが帰る時間まで屋上で寝ていればいいだけのはなし。見ていて飽きないのでいっしょにいることを不快には思わないが、じゃんけんのルール云々での言い合いに自分が参加するとなると面倒だ(過去二回それを経験し屋上へ避難すると言う半ば負けのような決断を強いられた)そうして今日も亜久津は頃合いを見て降りてきたわけであるが、
 さて、じゃんけんで何を決めるのかというと、
「今日は、明日の遠征の為に、部の荷物も預かっています」
「…おい、俺はもう部員じゃねえぞ?」
「なーに言ってんのあっくんこれは男同士の決闘だよー」
「男の約束だぞ亜久津!」
「んなの約束した覚えはねえよ…」
「まあまあ亜久津、お前が負けたら部の荷物は俺が持つよ」
「ちょ、雅美ちゃんだめよ!みなみ!雅美ちゃんが不正を働くつもりだ!」
「それはよくないぜ東方!」
「わかったわかった」
 喰いかかる小怪獣二匹を割とないがしろに宥めて、東方は亜久津を見て笑う。何の合図のつもりか知らないが、特に助けを求めている風でもないのでポケットから出した携帯灰皿に吸い終わった煙草を入れ、亜久津もその輪に加わった。
「ねえ南、最初はグーでやっていい?」
「仕方ねえなあ」
「よーっしじゃあいくよーさーいしょっはっぐー!」
「じゃーんけーん」
「ぽん!」
 何てことは無い、負けたら全員分の荷物を持つ、という中学生らしい遊びだ。四人もいれば一発で勝負が決まる事はなかなか無く、かと言って千石が負ける確率は少ない彼はいつも一番にこの決闘から抜けていく。本日も例に漏れず、残ったのは南と亜久津。この二人は、この遊びを始めてからわかったことだが、破滅的にじゃんけんに弱い。要するにワンパターンなのだ、しかもそのパターンがひどく似ていてこうなるともうなかなか決着がつかない。男子テニス部部長の南と、学内で悪名名高い亜久津が、こんなにも真剣にじゃんけんに励む様はそれはそれで見物だが。
「あいこで」
「しょ!」
 南がパー、亜久津がチョキ、ようやく終わりを見た試合に、千石は何故か感動し拍手を贈る。元々亜久津はほぼ手ぶらで登校している為、理不尽といえば理不尽な遊びだが、自ら参戦しているのだから誰もそれを考慮したりはしない。何だかやり切った感に溢れ寧ろ爽快感さえ垣間見える南が、いそいそと真面目に全員分の荷物を担ぎ出す。とはいえさすがに今日は荷物が多い、先程東方が言ったように、明日の練習試合の集合場所が学校では無い為部長が備品の諸々を預かっている、というわけだ。この遊びもときたまこういうことがあるから発生してきたもので、結局は途中から分担して持ち帰るのではあるが。
「えー南全部持てる?だいじょぶー?」
「持てる」
「ほんと?」
「ほんと、持てるから」
 ぐぐ、と脚に力を入れる南を見て、亜久津は一足先に校門へと向かう。敷地内から出たらルールはあってないようなもの、有無を言わせず荷物を取り上げるつもりなのだろう。南の横について歩く千石と、その後ろからゆったりと、もう一度鍵が閉まっているかを確認してからついてくる東方。他愛も無い会話を交わしながらの下校、夕日のオレンジが四人を包む。
「あ、待ってあっくんストップ、そっちじゃないよ」
「あ?なんでだよ」
「今日はね、南の家に泊まりだからさ、こっちの道行こ」
「は?」
「え?雅美ちゃん言ってなかったの?」
「いや、それは聞いてる」
「うん、言ったよ、今日は南の家に行くよ、って」
「…俺も行くのか?」
 道が違うなら、と南から奪った荷物を三人に渡そうとしても、三人揃ってきょとんとしている。どうして練習試合に参加しない俺が南の家に泊まらなくちゃならねえんだ大体そんな用意もしてねえよ、口を開いた瞬間、
「平気だよ亜久津、そりゃ俺の服はちょっと小さいかもしれないけど…」
 いや、そういう問題じゃ、言葉を飲み込んでばかりで気持ちが悪いが、きゅうにしゅんとした南に何か声を掛けるのも面倒だし気恥ずかしい。となりでいっしょになってしゅんとする千石もうざったい。亜久津は差し出した荷物を抱え直して千石が示した方向へ歩き出した。その後ろに嬉々として走り寄る千石と、南。荷物ががちゃがちゃと音を立て、まるで彼らの足音のようだ。
「あーくつー」
「ああ?」
「着替えなら、俺の予備があるから、心配しないでー」
「…おー!ありがとなー!」
 一番後ろから掛けられた声に、亜久津はなんだかもう自棄になったように楽し気に叫ぶ。あははははっと東方のよく通る笑い声が、蝉の声も覆うように揺れた。





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20050821