足を大きく広げて座るのが好きなわけじゃない。男らしさを主張したいわけでも柄が悪いのをわざわざ見せてやっているわけでもない髪の色をさんざん抜いておいて今更言えたものではないけれど見た目や仕草や態度で悪ぶるのをかっこいいと思ってやっているわけではないのだ。だからといって癖だと言い切ってしまうのもなんだかおかしく、何より許せない。もう一人、ここに座らせるために足を広げて座ってしまうのが、癖?そんなわけがあるか有り得ない、屋上の冷たいコンクリートで煙草を吸うたびに亜久津はそう思う。 「亜久津?」 「あ?」 「なんかぼーっとしてる、何かあったか?」 「いつものことだろ」 「そうだけど、なんか、怒ってないよな?」 「俺がいつでも怒ってるもんだと思ってんのかお前は」 「今日は昨日より寒いな」 「おい」 背中を亜久津の胸に預け、少し顔を上げて寒さに鼻の頭を赤くしているのは南。広げた足のあいだに座り込むのはいつものことだ。まるで椅子に座っているかのように遠慮なく体重をこちらに寄せることに対し、愛がねえなと茶化したことがあった。南は、千石みたいだ、と笑うだけであったが。亜久津が煙草を吸っても怒らないのはこのときだけで、いつもは空気清浄機のようにいちはやく煙を察知しそれを速攻排除しようと顔をゆがめる南が、ここに座っているときだけはのぼっていく煙にじゃれつくようにたまに手をあげることすらする。冷たいコンクリートにわざわざ腰を下ろし、南が昼食を食べ終わるのを見るのもすでに日常。 「亜久津は寒くないのか?」 「なわけねえだろ」 「俺はあったかいよ、本当有り難い」 「はあ?」 続かない会話も日常なのでこれにはもう突っ込むのもだいぶ飽きた。背中をぐっと押し付けられれば当然亜久津の背中が床と同じように冷たいコンクリートの壁に押し付けられるのであるが、南が純粋に暖を取ろうとしていることがわかるのでこれも今では黙っていられるようになってしまった。南の口がペットボトルをくわえたので亜久津はその隙に煙草をくわえる。普段と違い、多少組み立てはおかしいがよく喋るようになる南に付き合うため、タイミングを見計らうのは怠ってはならないこと。逃せば煙草の一本くらい、一度も吸えずに灰になった。 「千石、頑張ってるかなあ」 「じゃねえの」 「様子見に行ったら邪魔かな?」 「お前はあいつの保護者か何かか」 喋り出すタイミングにあわせて煙を吐き出し、煙草を持ったまま膝に手を置けばあははっと笑い出した。煙に咽せたのかと思ったがそういう様子ではない。そうだ、ここに座っているときの南は煙草に関してひどく寛容なのだ。 「何笑ってんだ」 「だって、俺らの保護者はお前らだろ?」 「あ?」 「だから俺はこうして今暖を取れているわけだし」 南の言う、お前ら、にはもちろん亜久津が含まれているが、ら、というからには他にも。東方の顔が咄嗟に浮かんだ亜久津は何となく目の前の後頭部に頭突きした。痛えよ、と言いながら南の上げた両腕が頭に触れ、ぐしゃぐしゃと亜久津の髪を乱す。 「それにしても遅いな東方、来ないのかな」 「は?お前知らねえの?」 「ん?」 「あいつ今日休みだろ」 「え、ああ、そういえば朝練もいなかった」 「なんで把握してねえんだよ、あれだろ、結婚式」 「あ!そうか!」 パンをくわえたままきょとんとしていた南が突然ポケットをあさり携帯電話を取り出そうともがいた。足は大きく開いているので南をちっとも拘束していないのだが、座ったままで腰のポケットに手を突っ込むのは容易ではない。そちらに集中するあまり口から落ちるパンを亜久津は器用にキャッチした。 「ん、あ、ほんとだ、今日だ」 「なにが」 「いや、結構前に今日休むってメールがきてたから」 「忘れてたんか」 「あ、そのパン食べていいよ」 「もう食ってる」 「ん」 事前に連絡をする東方はそれはそれでよいと思うが、日々何かに忙しい(部活に関してだけではない、彼はその性格から学校で多くの役目を担っている)南がそれを忘れてしまう可能性など東方は百も承知のはず。もっとも、少し前まではこんなことはあまりなかった。言い方は悪いが東方が亜久津に南を預けるようになったのはここ最近だ。本人に言えば怒るとまではいかずとも機嫌を悪くすることは目に見えているので、それ以前にわざわざ口に出して言うことでもないので亜久津は黙っている。南の機嫌を損ねさせて喜ぶのは千石だけだ。パンをもぐもぐとしながらそんなことを考えているうちに、与えられる体温にうとうととしてきた亜久津は煙草を飲み終わった空き缶に捨て、目の前の背中へ逆に体重を預けた。 「…亜久津?」 「あ?」 「眠いのか?」 「別に」 言いながら南の腹に腕を回し、頭を首筋に落とす。また南の手がよしよしとあやすように亜久津の髪を触り、犬みたい、と笑った。保護者じゃねえのかよ、と言ってはみたがもうだいぶ眠いのか舌がまわらない。 「寝不足なんだろ?だからぼーっとしてんだろ?」 「それは、べつに、そうじゃ、ねえ」 「あはは、どっちでもいいよ、おやすみ」 暖かい、そりゃそうだ人の体温だ。怒っていない理由がなんだって、ぼーっとしてる理由がなんだって、南は知らなくていい。どうしても気になれば東方に聞くだろうし、あいつも気が向けばあっさり話す。それがだめで千石まで話がいけばあいつは真っ正面からやってくるからやりやすい。亜久津は夢うつつで、選抜の合宿に行っている千石の橙頭だけを思い出し、お前にやるにはまだ早い。と、そんなことを思う自分の思考を笑った。気温は低いが日は高い、昼休みを終えるチャイムがしんと冷える空気に通る。 頬を撫でる風にふと目を開ければすぐ横で聞こえる寝息。離れていない体温。ふたつめのパンを右手に、飲みかけのペットボトルを左手に。どうせなら飯食ってから寝ろよ、と思いつつ、授業をサボったことを誠実に謝罪する彼の姿をありありと想像して、亜久津はまた目を閉じた。 「おやすみ」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 東方=パパ、亜久津=ママ、南=娘、千石=婿。 うちの千南東亜はこういうことになってる模様です。 |