今の時代どこに行けば家賃を払えなくなって家を追い出される二十歳の男に会えるというんだ。それだけならまだいい、会って馬鹿だと罵るだけならまだいい、そいつが転がり込んでくるなどと、今は二十一世紀だと言い聞かせたところで何の意味も無いことは知っている。あいつならきっと茶化しながら上手いこと言って追い出せるんだろうけれど、俺はそういう手管を持たないし何より、意味が無い。
 意味が無いことばかりだ、そうして生きているつもりは無いが自覚が無いだけなのかも知れなくておそろしい。違う、違うんだ、俺はきっと、

 彼を側に置くことで、養う振りをすることで、自らの安定を、求めている。


 授業と、テニスと、バイトの日々。大学生になった南健太郎の生活は、忙しいながらも充実したものとなっていた。教師を目指し組んだカリキュラムの中で網の目を縫うようにテニスに励み、中学高校と共にテニスをした千石清純の活躍を耳にしながらも、自分はもう違う道に進んだのだからと納得することも出来るようになった後だった。三年目だ、一週間のあいだに詰め込む授業の数が減り、バイトの時給も上がってきた頃、それは大学三年の夏のこと。久し振りに、大学に入ってからは初めて、再会した亜久津仁が、一人暮らしをしている南の家に突然やってきて迎える暇も無く上がり込んで、今からどこへ行くんだと聞きたくなるような荷物を足元へ置いたときものすごい音が鳴って。まず最初の言葉が思い付かずにだらしなく口だけをぱっくり開いた状態で立ち尽くす、すると、彼の声は高校から全く変わらないもので変声期は無かったのかと自分の声を思い出した。喋り出せばよかったんだ自分の声を確認するという理由だけでよかった、そうすれば、一分一秒で変わっていく世界は文字通り、変わるはずだったんじゃないのか。「世話になる」一言そう告げた亜久津はそのまま、ソファに寝転がり目を瞑る。その隙に様々な可能性を考えた、追い出すという選択肢は無意識に排除していた、亜久津も一人暮らしをしているということは千石から聞いた記憶がある、この疲れた様子、実家に居る犬を思い出した。ひとりで勝手に首輪を外して家出したくせに迷子になって何日か経って帰ってきたときの、それにとても似ていた。「風呂、入ってこいよ」南は、亜久津を部屋に迎え入れたときから一歩も動いていない場所に立ち尽くしたまま声だけは毅然とした。身体を起こさないままの亜久津が、ふ、と笑う。

「ただいま」
 がちゃんっ、と部屋中に響く錆びた鍵の音は大きく、南の帰りを告げる声をまるで意図的に掻き消すようだ。それでいい、と南は思っていた。返事を期待しているわけでは無いのだからそれで丁度いい。家に帰ったらただいまと発するのは、何も亜久津が転がり込んできてからの習慣では無く、一人暮らしを始めた当初からの癖だからだ。聞こえていたところで返事が無いことも知っている、もしかしたらその期待を自ら消す為に、敢えて鍵の音と被せているのかも知れないがそれはひどい可能性だ。頭が重い、身体が怠い、とても、眠い。大学からそのままサークル、バイトでラストまで。最近は殆どこの繰り返しで、朝起きて亜久津がいなくても問い詰めるような気力が起きない。合鍵を勝手に持ち出しているのは明白なのにそれを叱ることも面倒だった。こんな惰性を東方が見たら呆れた顔をするだろうな、そう思いながら電気の付いていないリビングに荷物を適当に放った。
「い、ってぇな」
「…亜久津、いたのか」
 どすん、と鳴るはずの音が確かにいつもより軽いことには気付いた、しかしそこに亜久津がいるとは思わなくて南は何故かこの状況が可笑しくなり肩を揺らす。
「あ?笑ってんのか」
「違う、そういう意味じゃない」
「意味わかんねぇよ」
「いいさ、わからなくていい」
 真っ暗なまま、声の方向からするに亜久津はソファに寝転がっている、眠っていたのだろう。答えが返ってこなくなって寝返りを打つような衣擦れの音がした。南は暗闇に慣れない目を信頼することを止め、目を閉じて、自分の部屋だ何歩でどこへたどり着くのかぐらい予想は出来る。どん、と脚がソファにあたる。足元へ腕をのばそうと腰を曲げれば、自分より少し低い体温にぶつかった。
「なあ亜久津」
「あ?」
「俺、すげえ疲れてんだ今」
「………」
「頭痛ぇし、腕も脚も動かない、気持ち悪ぃ」
「…南」
 ずるずるとソファに、亜久津に、体重をかけない程度に触れる。自分を呼ぶ低い声がわずかに掠れていて本当に、ついさっきまで、寝ていたことを知った。腕を取られて、骨にあたる指先がぎりぎりと頭を刺すように熱を集める。
「しよう」
「疲れてんじゃねぇのか」
「だからだよ」
「わかんねえな」
「ああ、それでいいさ」
 少しでも、転がり込んでいることにもしくは合鍵を持ち出していることに、罪悪感とは言わずともそれに近いものがあるのか、こういうとき亜久津はとても素直だ。それが負い目からくるものでなく、積極的なものであったなら、と思わないわけでもないが。今はただ、疲れているから。南は噛み付くように寄せられた亜久津の歯列を舐めながら、ぐるりと回転した自分の身体をソファに沈めた。





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亜南の大人パラレル…
20050906