「たんじょうび?」 「そう、誕生日だよ」 まあるいおめめがくるりとして、僕は思わず両手を彼の顔の下へ持っていきそうになった、受け止めなくちゃと思ったわけだ。もちろん、こぐまの身体はそんな簡単にパーツが外れるような作りではないので(人間なのだから当然だ)僕の手は動かなくて正解だったわけだけど、それ程の比喩が必要なくらい、彼は目を見開いてこちらを向いている。興味がある、という猛アピールだ。 「いつだ」 「ん?」 「たんじょうび、って、いつだ」 「ええと、誕生日は、みんなそれぞれ違う日なんだよ」 「!!!」 今度こそ本当に、その二つのまあるいものがぽろりとするんじゃないかと思い、僕は手を差し出し受け止めることが現実になってしまうようでこわくなってふいとつい目を逸らしてしまった。そうしてから、自分の行動がとても非現実であることに気付いて一人笑う。視線をこぐまに戻してから手を暖める為に包み込んでいたホットココアを静かに口元へ運んだ。その様子を見た目の前のこぐまも思い出したように慌ててカップへ口をつける。まだ熱かったのか、びくりと肩を揺らした後、舌をちろりと出して何かと必死にたたかうような顔をした。 「気を付けてって、雅美さんも言ったじゃない」 「ま、雅美さんが、熱いものは熱いうちに食べると美味しいって、言っていたんだぜ!」 「でも、気を付けるようにとも、言っていたでしょう?」 「うん、言って、いた」 「大丈夫?」 「だいじょうぶなんだぜ…」 ぱたぱたと器用に舌を動かして冷やしているつもりなのか、しかしそれでもこぐまはまだ涙目だ。僕はひとつ、困った子だ、と慈しむような溜め息を吐いて椅子から立ち上がり、部屋のすみにある小さなキッチンへと向かった。蛇口を捻ると手を刺すような痛み、この時期の水は外にある水道管が冷やされるのでとてもとても冷たい。水道、とはいえこんな山奥の質素な小屋(なんて言うと雅美さんに失礼だけれども)のそれは街の中とは仕組みが違うから、蛇口から滔々と流れ出る水はより冷たく、消毒の味もしなかった。乾かしてあったコップに半分程注いで、まだ舌をぱたぱたしているこぐまのところへ戻る。 「ほうら、これを少し、口に含んで」 「も、もう、だいじょうぶなんだ、ぜ!」 「いいからほら、そういうのは後から痛くなるんだよ」 「あとから…!」 怯えるような顔をした後急いで、ココアの横にことりと置いた水をごくごくと飲み干してしまったこぐまは、からっぽになったコップを両手で持ったまま、口に含んで、としゅんとしたように僕が言ったことを繰り返した。口に含まず飲んでしまったんだぜ…、と本当に小さい声で言うものだから、僕はまたゆったりと笑う。 「口を開けて、舌を見せて」 「あ」 「うん平気だよ、赤くもなっていない」 「そうか!」 「うん、次からはちゃんと気を付けて」 「おう」 自信満々のこぐまの隣に座り直して、向かいに置いてあった自分のココアまで少し手をのばした。その横で、こぐまは必死にふうふうとココアを冷ます。 「なあせんごく、たんじょうびのはなし」 「ん?」 「くりすますとは違うものか」 「あはは、そう、クリスマスはみんな同じ日だよね」 「うん、雅美さんとあくつと、とりをまるごとたべる日だ」 「僕は?」 「せんごくは、前のくりすますはともだちじゃなかっただろう」 そう、僕がこぐまと出会ったのは、今年寒くなりはじめた頃で、まだともだちになったばかりだ。だからクリスマスも、いくつかの誕生日も、いっしょに祝ったことがない。おそるおそるココアに顔を近付けるこぐまは、彼専用の椅子に座り、当然床に足もつかない。いろんなことをお祝いするあいだに、彼も大きくなっていってしまうのだろうか。頭を撫でながら、何ともいえない気持ちになった。 「じゃあ次のクリスマスは、」 「たいへんだ!」 「え?」 「よにんもいたら、とりがひとつじゃ足りないんだぜ!」 「僕が、都会の家からつれてくるよ」 笑いを堪えながら僕がそう言うと、こぐまはばっとこちらを向いてまた目をまんまると見開いて、いきているんだったらおれのいないとこで雅美さんにすぐ渡すんだぜ…と何故だか意気消沈してしまう。ああきっと、雅美さんが鶏をしめるところを見てしまったのだろうな、と気付き、ごめんね、とおでこをこつんとこぐまの耳にあてた。おう、と何でもないように答える彼は、ちびちびとココアを飲んでいる。 「ああ、それで誕生日の話だけど」 「そうだ!」 「うん、僕の誕生日は今日だよ」 「!」 「そういう話をしていたのだったよね」 「せ、せんごくは、」 「うん?」 「今日、生まれた、のか!」 「あ、そこは覚えていたんだね」 僕の、学校の話をしているうちに、家の話になって、家族の話になって、生まれたときの話になって、誕生日までたどりついたのだった。そういう流れであったのに、こぐまは他にある祝日と混同するものだからすっかり生まれた日であることは忘れてしまっているものだと思っていたけれど、大切なところをかいつまんで覚えているのは小さな子ども特有のものなのだろうか。両親や、きょうだいの話は、僕にとってもこぐまにとってもあまり有益な話題ではないように思うから普段はしないんだけど、今日は、だって今日は。 「うん、十二年前の今日、僕は生まれたんだよ」 「お、おおお、お、お」 「どうした?」 「おいわい、しないといけないんだぜ…!」 「いいよ、知っていてくれたらいいんだ」 「けーき、けーきをたべないといけないんだぜ!」 「あ、」 「せんごくがじぶんでいったんだぜ!」 いつだ、と問われる前に、何をする日かと聞かれたのでケーキを食べる日だと言ってしまったのは確かに僕だ。ぬるくなったココアをがぶがぶと飲み干し、椅子から転げるように飛び降りたこぐまは、僕の服の裾を一生懸命に引っぱり、外へ出ようと言った。 「寒いよ」 「雅美さんにいって、けーきを、よういしてもらう」 「そんな、ほんとうにいいから、ね?」 「だめだ、せんごくが生まれたことを、おれはいわうんだぜ!」 こぐまは、きっと自分の誕生日を知らない。雅美さんも、正確な日付を知っているわけじゃないだろう。だから今まで誕生日を祝うということをしなくて、雅美さんも、亜久津さんだって、お誕生日はあるはずなのに、こぐまのために。でも今、僕は彼に生まれた日をお祝いする風習を教えてしまったから、後でこっそり雅美さんにこぐまがこの家にやってきた日を聞こう、そう思った。 「ありがとう、ほら外は寒いから、ちゃんとフードを被って」 「おう、あくつも呼びに行くんだぜ!」 「そうだね」 茶色の丸い耳、こぐまらしくなったこぐまが外でお仕事をしていた雅美さんのところへ走っていく。木を切る音が止んで、雅美さんはひょいとこぐまを片手で抱え上げ笑った。扉をそっと閉めながら、空に向けて白い息を吐く。本当はケーキなんて無くったっていいんだ、僕はマフラーをきゅっと巻き直すふりをしながら顔をうずめて少し泣いた。愛しい愛しい君が、僕が生まれてきたことを喜んでくれるのならば、それで。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− こぐまのみなみ第二話、千石の誕生日のはなし 20051125 |