「星野君は、煙草は吸わんね?」
 勝手に入って来て勝手に食事を済ませて勝手に出ていかなかったばかりか勝手に寝ていたにもかかわらず、ふわああっと欠伸をした石井はその疑問が当然であるかのように抑揚のない落ち着いた声でするりと言った。抑揚がない、とかんじるのはいかにも興味がないということが明らかにわかるからだ。それなのに、投げ掛けられた疑問はまるで中高生のそれのよう。
「…おはようメグル」
「なあ、吸わんね?」
 わざわざ布団を引きずり出してやったというのにそれの上には寝転がらず、まだ朝が冷えるというのに部屋のすみ、窓側で膝を抱えて丸くなっていた石井が膝のあいだからわずかに顔を起こして問い掛けた。完全遮光ではないカーテンから広がる光に包まれて、気持ちのよい早朝、結局石井の為に出してきた布団で寝ていた星野は全く身に覚えのないことを当然のように投げかけられてうんざりとする。
 二十歳は過ぎている。酒を飲むのか、という問いと同じ感覚である可能性もなくはない。しかしそれは本人が喫煙者である場合だ。星野は、石井自身が喫煙している場面に立ち合ったことはなく、彼から煙のにおいがした記憶もない。
「なにを?」
「煙草ばい。吸うか吸わんか聞いとっと」
「ふーん。誰が?」
「…星野君が、て言うとろーもん」
「へえ、メグルが煙草を?」
「違う!星野君が!」
 テンションの上がらない朝っぱらから彼はこんなに苛々としているのに、今日も引き下がってくれないなあ、と思いながら星野は毛布の中でゆっくりと身体を横にした。石井に背を向ける体勢になったけれど、部屋のすみで膝を抱えている彼が動き出す気配はしない。酒は早く抜ける気がする、が、いかんせん寒いだろうに。
 石井が、どうでもいいことで星野に突っかかってくることはたまにある。暇つぶしなのだろうとわかっている。すっかり無視をすることも可能だけれど、少しは付き合っている態度を見せるのも悪くない、どうせ答えを求めているわけではないのだから、と、星野は自分に支障がないときは遊んであげることにしていた。それが結果石井の苛立ちに繋がったとしても、自業自得だし、最近はもしかするとそれを楽しんでいるのかも知れない。気付いてはいるが、星野はそれを口には出さず黙っていた。言えばまた、理由もわからず捲し立てられるに決まっている。
「…で?」
「え、なにが」
「煙草ね」
 また欠伸をしながら、顔は完全に寝ぼけているのに声がはっきりしていておかしい。左側から差す朝日が眩しいのか目を細めたり、何度も瞬きをしたりしていて、起きようという意思はあるらしい、首を少し捻ってそれだけ確認した星野はまたもぞもぞと口元が隠れるぐらいまで毛布をかぶった。
「吸わないよ、見たことないだろ?」
「知っとおよ、やけん聞いとお」
「だから吸わないって、買ったこともないよ」
「…つまらん、面白うなかー」
 たいして面白くない、と思ってもいない口調に少し笑ってしまって、星野は布団の上でぐるりと体勢を変えた。机を片付け、玄関側に寄せて布団を敷いていて、さらに足を石井に向けた格好なので、彼までの距離は室内とはいえわりとある。足元に転がしている眼鏡を踏まないか心配になって身体を起こそうかと思ったが、毛布をわずかに上げただけで冷たい空気が入ってきたので断念した。窓際にいる石井が寒くないわけがない。ここに来るまでに羽織っていた外套を着てはいるが、部屋のすみではそれが余計におかしなものに見えた。毛布の隙間からの視線に気付いたのか、動物のように身体を震わせて、また欠伸をした石井が踏み付けることもなく手に取った眼鏡をゆっくりとかける。
「メグル、起きるの?」
「星野君」
「なに?」
「それは元々、俺の為に敷かれた布団っちゃね?」
「そうだけど、いらんって言ったのはメグルだよ」
 立ち上がるのかと思いきや、力が入らず諦めたのか両手を前についた石井は次に発する言葉を考えるような間を取ってぴたりと動くのをやめた。寝入る直前まで読んでいた参考書が枕の下に入っていることに気付いて、星野はまた少し睡魔のやってきた頭を覚まそうとそれを適当に頭上で開く。石井が何かを言い終わるまでは起きていた方がいい。折角の休みの朝だというのに、という気持ちがないわけではないけれども。
「…星野君は今ここで俺が死んでも構んと」
「構うよ!寒いんだろ、当たり前だよ。いいからこっち来なって」
「死んでも…」
「死なない!」
 参考書の効果も薄く、本格的に眠くなってきたところで石井が死ぬとか死なないとか言い出すので、星野は思わず声を張ってしまった。それを全く気にしていない様子で、さむかーさむかーと呟きながら四つん這いで近付いてくる気配。遊ぶ気力も、それに関して頭を回すことも億劫になってきたので、もうしたいようにさせてやるのが得策だ。朝日もすがすがしく、木にとまって鳴く小鳥の声もよく通って、ほんとうに不快なところは一点もない朝なのだけれど。
「ほんとう、星野君は可愛くなかね、顔だけばい」
「それはどうも」
「やけん、煙草でも吸うてくれたらギャップ萌えと思ったろーもん」
「…布団に入るならコートは脱いでくれるかな」
 背を向けてしまったので、石井が本当に外套を脱いで自分のとなりにもぐり込んできたのかはわからない。わかるのは背中にあたる彼の背中が予想以上に冷たかったことだけだ。何の意地なのかわからないし、もしかしたら意地もなにもないのかも知れない。そうしたかったからそうしただけ、寒くて眠いから暖かい場所で寝たいだけ、そういう点ではわかりやすい男だ。
「おやすみメグル」
 何も言わないのも優しくないかな、そう思って声を掛けても返ってきたのは既に心地よく寝入ってしまった彼の呼吸だけ。星野はまた少し笑い、朝日を頼って持っていた参考書を開いた。






20061022